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げんちゃんの後期試験がめぐってきました。
げんちゃんの学校は、中学まで不登校のお子さんや、発達障害のお子さんが多く、学校の試験も、かなりやさしいです。
それでも、げんちゃんにとっては、しっかりやらないと、こなせないものです。
なんせ10教科、すでに1週間。・・そう聞いただけで、体が反応してしまう私です。受験地獄の中で青春を送ってきた人なら、たぶん、誰でもそうなるのだと思います。・・・
でも、反応しないようにしてます。
げんちゃんが、自分の力で、一つ一つ目覚めていくしかないから、昔のように、私が上から振りかけてやって、結果を急ぐことはしません。
というか、振りかけたって、結果はたかが知れているし、私自身が大きなストレスに見舞われます。トラウマという感じ。
もう中学までで、十分にやってきた。あとは、自分でつかんでいくしかない。
自分のテストでもないのに、気にしてると、当の本人より追い詰められる。
十分にげんちゃんは、やってもらって、あるスタートラインにある。自分で自己開発するしかない。
試験の優先順位、どの学科をどのように学んで、復習し、どう覚えて行ったらいいか。
普通の子でも難しいことです。中学で、それをつかまずに、行ってしまっている子もいるでしょう。ただ、程度は、げんちゃんと比べると、はるかに上だろうけど。
一回ごとに、少しずつ、こなれていけばいい。
気持ちを入れることを、多少はつかんだのだから、自分と向き合って、試行錯誤し、何かつかめればそれでいいと思います。
今は、自分が自分を開発するステージに来ていて、私は、せいぜい、ポイントごとのアドバイスをしたり、脱線しそうになるのを、時々叱咤激励するしかないのだと自覚しています。
しかし、前期の試験で、中国語96点という(もちろんやさしい問題で、勉強のやりかただけ教えました。)快挙を遂げたのですから、心をしっかり入れて、気持ちの焦点を定めることができれば、げんちゃんだって、自ら進歩することができると信じましょう。
コロナでまた、ズーム授業になりました。
横で見ていたら、
「今から、これをやって提出してください。」
と言われているのに、ぼんやり何もしなかったりします。まだまだ、こういう初歩的なところにさえ、大穴があくのです。そうそう、早いスピードで前進できないのもわかります。
ズーム授業を聞いていると、ほんとに質の低い授業もあります。普通の学校でも、教える質というのは、相当ばらつきがあるんだろうな、と思います。
個別授業ではないから、みんなに合わせることは無理ですが、ある一定の普遍性をもって、良い授業と言うのは存在すると思います。
そういう授業は、厳しさと楽しさ、興味深さ、そういうものがうまく混合されて伝わります。ちょっと聞いただけで、わかります。
たとえ、相手が、落ちこぼれ君達だったとしても、秀才君とエネルギー量は減らさないでほしいです。伝えたい思いがあって、子供をどこに進ませたいのか。お友達ではなく師。
この先生はすごいな、と思わせる授業は今も昔も少ない。
ある先生などは、準備してきているのだろうか、と思うようなものもあります。
もちろんいいな~と思う授業もあります。
ズーム授業は、一緒に見ることもできるので、質がジャッジできますよね。
大手予備校の社会の参考書に、青木の世界史というのがありました。彼の授業を文字に起こしたものですが、私はそれが大好きでした。好きと言う割に、ぜんぜん世界史が頭に入っていないのですが、
「受験が終わって、ぼくに、どの大学に受かったなんて、言わなくてもいい。僕は、君たちがどこの大学に受かったなんて、興味はない。君たちが、何を考え、何をやったか、ということに興味がある。」
うろ覚えですが、こんなことが巻頭に書いてあってしびれました。
歴史とは、自分の立ち位置を知る上に、また、自分のいる国の立ち位置を知る上に、役に立ち、将来を考えるよすがになるものです。国家の今を考えるうえで、歴史を無下にすれば、また同じ過ちを犯します。
歴史から、人生さえも考察できると感じます。
彼は、歴史の授業をするベースに、深い歴史観を持ち、人間観を持っているのだな、と感じました。
彼から学んだのは、歴史ではなく、歴史をどう見ていくか、という自分の立ち位置だったのかもしれません。
良い先生とは、そういう思想を最終的には、子供たちに伝えていける人だと思います。子供は、先生の言葉の中に、また空気感に、感じ取るものがあるのです。
そういう先生に出会えた子供は、本当にラッキーです。
ふと、青木の世界史、なんて遠い昔のことを思い出した私です。
そして、発達障害の子こそ、骨太な人柄、どう生きるべきか、という軸を持った人でなければ、導けないのではないか、と思います。そもそも、ある意味”魂のぶれ”、という障害を持ったこの子たちは、ぶれない軸を持った人のそばに置かなければ、成長しない。
そんなことを思っています。
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もう中学までで、十分にやってきた。あとは、自分でつかんでいくしかない。
自分のテストでもないのに、気にしてると、当の本人より追い詰められる。
同じ気持ちです。若干の燃え尽きた気持ちがあるのも事実です。
今日久しぶりに大バトルをしてしまいました。
息子の高校は学年閉鎖になってしまったのですが、期間が今日まででした。何度かやったかどうかの確認をしていたのだけど、「やってる」「大丈夫」と言っていたので様子を見ていました。最近はオンラインで課題を提出したりと、私から見えにくくて任せていたところがあったのですが、今日午前中にオンラインで出た課題の一覧を見せてもらったら、ほとんど出来てなかったんです。私が叱咤したら逆ギレ、家出するふりをして、私が制止しても振り切る感じで…ほとほと情けなくなりました。私が止めるのをわかっていての行動です。もう出て行ってもいいかなと思いました。
こんな行動に出るので圧をかけるやり方は無理になってきました。けれどもこのままモンスターになっては困ります。まともな思考を身につけていかないと…
さらにやっかいなことには、同じような特性を抱えるらしい友人(?)にラインで相談していて(というか、逐一報告してるみたいです)変な知恵を授けてるみたいです。危なっかしいし不安だし腹立つしで、育てる自信喪失しています(涙) 1
ゆうママさん
それは大変でしたね~。変な知恵をつける。これなんですよ。最も怖いこと。
なんとかうまく切り抜けてほしいですよね。
ママをうまく、かわす方法も得ているようですね。
友達に報告は、学校での課題を聞いたり、自分が抜けているところを相談したりすることもできる、ということの裏返し。
能力はしっかりあるんだと思います。常識感がついてなくて、自分はおかしいんだ、というメタ認知を何が何でもしてもらわないといけないですね。
周りの教師に、そのあたりが甘い人間がいると、そこが逃げになる。
友達も、先生も、とにかく、つける人を徹底的に選択する必要があります。それには、やはり、パパママの協力体制がいりますよね。
げんちゃんも、ずるい行動を結果的に擁護するような人に対して、徹底的に遠ざけるということをしています。
今も、おばあちゃんのところで夕食をとらせず、パパが持って帰っています。おばあちゃんが完全逃げになる。
徹底的に自分はまっとうな考え方や生き方から、はずれている、と感じさせる。
ブログで書いた、骨太のまっとうな、厳しさも兼ね備えた指導者がいります。
ほんと、そういう人物はなかなか見つかりません。困ったものです。最悪、S先生に一度指導してもらったらいいのかもしれません。お近くだったらいいですよね~。大きくなると、なかなか母親だけでは改善させにくいです。悩みどころほんとによくわかります。 3
お返事ありがとうございます。
冷静に正しく導いてくれる人が必要だと思います。私は感情的になってしまって導くことができないです。昨今の信じがたい事件を見聞きするたびに、あまりにも極端で、どうしてこんな思考に育ったのだろう?自分が親だったら止められてたのだろうか?などと考えてしまいます。人としてどうあるべきか?経験から身につくはずのことが身につきにくい、でも言葉だけで伝えるのは難しい。悩みは深くなっていきますね。
ゆうママさん
まさに、発達の正念場ですよ。
多くのニュースで報道される事件を見ると、発達の気質に、あらゆる条件が重なり、まるでロイヤルストレートフラッシュのようになって、信じられない結果を生んでいます。
先日あった、散弾銃でお医者さんを打った事件でも、母親とずっと二人暮らし、パラサイトのすえの事件。これらを発達と決めるのはいけないことですが、条件が重なれば、常識感のつかない発達の子たちですから、考えられないようなことが起こることもありうるのだと感じます。
愛情をしっかりかけて育てているのに、なぜ・・・みたいなことはあるんですよね。この子たちって。ほんとに周りには理解されにくいです。母親の苦悩は計り知れません。
だから、徹底して高校を卒業するまでに、常識感を少しでもつける。そのために、逃げやずるを、徹底してつぶす。
まだまだうちも、その過程にあります。
成人してしまうと、なかなか方向転換が難しいと思うので、今は、精神の指導を中心にやる必要があります。
お子さんんも、逃げやずるをしっかりシャットアウト。ずるい立ち回りの、急所をつくようにがんばってください。
急所があります。急所じゃないところを、厳しくがみがみ言っても、なかなか・・・・
静かに、厳しく急所を。
S先生は、きわめてピンポイントでげんちゃんをたたきのめしますよね。私も、逃げにならないように、果てしなくつきはなしています。感情的になっても、またじっくり冷静になって、やるっきゃない。ほんとしんどい。頑張りましょうね。 3
こんにちは。
後期試験ですか…
10教科と聞くだけでも、ゾッとしてしまいます。
そう、先日コメントに中国語の報告をして下さいましたね(返信が遅く申し訳ありません)
私もげんちゃんの快挙に嬉しくて、気分が上がりました!!
語学でこれだけできるなんて。
後期も何とかいい結果を残せると違いそうですよね。
中国語が何か突破口にならないかな??と考えてみたり。
いい影響が出ると良いのですが。
大手予備校の参考書、実況中継シリーズですかね。
私もお世話になっていました、懐かしいです。
今は講義も簡単に録画できて、配信されている時代。
当時の私は、講義をあたかもその場にいるような雰囲気で味わうことが出来て、授業を取っていなくても助かるなぁと思っていました。
文字に起こすことで何度も何度も味わえる、画期的だなと。
世界史の先生、凄い方ですね。
今も講義をされているのでしょうかね。
ただの表面的な学習だけでなくて、心に刺さる深いもの(根本的なもの)を教えていく。
これが本当の教育でしょうね。
げんママさんは、げんちゃんが高校生になった今、自分で学んでいくよう、手を放し始めた。
私も最近、とんちゃんに同じように放し始めていますが、まだ早いのかなと感じたりしています。
同様に、いくら振りかけても全くもって身になっていない。
無駄、こちらの血圧が上がるだけだと感じます。
昨日、小2算数の応用文章問題をやらせたところ、ボロボロでした。
勿論2年生の内容ですので、立式できれば解けますが、立式が出来ない…
文章から、関係をつかみ取る。ここですよ、ここ。
雷落ちましたね。
こんなんじゃ、中学生には、なれないですよ(なれないような制度にして欲しいです…)
とんままさん
げんちゃんの学校はぬるま湯です。
なんか、コンセプトはいいけれど、きちんと指導できる器の人は少ないです。
社会に出て、どのような人材になるように育てるのか。人としてどのように、という骨太の芯を持っている先生は、どこも少ないのでしょう。しかし、発達君たちは、きっちり、モラルや、人としての部分を指導しないと大変です。
高校時代ぬるま湯でもいい子もいますが、げんちゃんはほんとに合いません。日本中どこ探しても、フィットする学校はないのだと思います。
アメリががいいとは言いませんが、もっと教育にお金をかけ、人材を育成しないと、日本の未来はどうなるのでしょう。
5年間行かせようと思ったけど、今は、早く成長して、普通の専門学校あたりに行かせられないかと思います。そのためには、本人の、いつものくせ(別にそれでいいやん。という心無の状態)を治さないと・・・
中国語は、好きなのでしょうね。でも、そこが知れてるけれど・・・普通の中学校の勉強に比べたら、げんちゃんのやっていることは、まるでおままごとです。
青木の世界史、ググったら、アマゾンにありましたよ。おいくつなのでしょう・・・それとも昔の復刻?
戦後GHQが入って、ことごとく、日本の良いところを破壊しつくし、平成で完了形となったと感じます。
もはや、この国は、落ちる一方なのでしょうかね・・・そんなところで、発達の子は、何の補助もないまま、親にパラサイトするしかないとすれば、この国の責任は大きいです。
社会が心を失ったことに足して、神様が警告を発している。この子たちの存在は、そう考えていもいいのではないか、と思います。生まれつき、心、魂の障害です。心とは、魂とは、と問いかけることを強いられます。こちらとしては。
とんちゃんは、まだ手を離すのは早いけれど、自立、メタ認知、魂への自己責任。
そういう自覚だけは持たせるように仕向けて行かねばなりませんよね。学校や公的機関の、しっかりとしたサポートがあるとほんとにいいのに・・・
母親だけが担うには、大きすぎますよね。天の助けがいります。ほんと!