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今日は、げんちゃんが学校から帰ってきて、古巣の中学を尋ねました。(制服リユースに制服を持っていきました。)
たまたま、3年間支援クラスで見てくださっていた、女性の先生と、1年生の普通クラスの担任だった男の先生がいらして、歓迎してくれました。
げんちゃんの様子を見てみるとおもしろかったです。
「あの、高校では英語があるんですが、中国語もあるんですよ。僕はびっくりしました。」
「へ~、中国語話せるの?」
「あ~はい。」
「いやいやいや。話せんやろ。あんなくらいじゃ、中国行ったって通用しません。何言ってんの!」(げんまま口をはさむ)
「いや~ちょっと・・・」(げんちゃん修正)
「○○君はどう?一緒の中学から行った・・・」
「同じクラスです。」
(ほう!クラスメートのこと少しは関心持ってるんだ。名前もまだ全部覚えていないみたいだけどね・)
「夏休みバイトさせたんですよ。」(私)
「え?どこで」
「○○です。」(げんちゃん。)
「レジやったの?」
「まっさか!」(私)
「野菜のところで働きました。」(げんちゃん)
「どうだった?」
「大変でした。立ってるのがきつかった。」
「あそこの学校は、今私服を着てるんです。」(げんちゃん)
「あ、私服もオーケー月間とかで、私服の子が入り混じっています。ユニークですね。げんちゃんは、制服を着る、と言って着て行ってますけどね。」(私
「へ~。おもしろいね。」(先生)
何人もの先生が声をかけてくださり、立ち止まって少し話してくれました。ありがたいですね。
しかし、私は、げんちゃんがずいぶん饒舌になったことに気づきました。
昔も、自分が気になったポイントは、自分の世界観でしゃべったりはしていたけれど、なんか、何が言いたいのか、さっぱりってことも多かった。今回、主語や述語がそれなりに整合性が取れて、私が横で言い添えてやらなくても、大意がわかる。
言語能力も、気持ちが入れられるようになると、それなりに上がってくるんだな、と確認しました。
やはり、中学を旅立って、げんちゃんはずいぶん成長したな~と感じることができました。
先日から、時間メモを取らせ始めて、時間の把握がかなり進歩しました。
やはり、できないんじゃなくて、そっちに意識を向けない、ということだったのでしょう。普通の人のように、ある程度ルーティンに落としてしまえば、時間把握も無理なくできるようになるかもしれませんね。
こうやって古巣に立ち戻って、げんちゃんを見ると、客観的にジャッジできるものだな~と思いました。、
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4月に入学してから半年で大きく伸びている様子が伝わりました。
ブログなど幼児や小学校低学年くらいのお子さんの療育などを書いている方はたくさんいらっしゃいますが、中学高校それ以降となってくるとなかなかいらっしゃいませんね。本当に必要というか気になる部分は社会にどのようにして出て行くのか、社会での居場所を得るためどのような選択肢があるのかなどの情報がほしくて、将来を見据えて参考にしたいのですが、私が探せないだけか、ほとんど見ません。ですのでげんちゃんの成長記は本当に有り難く、また、コメントにもいつも真摯に受け止めて下さり、大変感謝しています。
ありがとうございます。 4
前回の記事のコメントでS先生に聞いて下さり、本当にありがとうございます。
仰る通り感情に飲み込まれてしまうのですよね。
先生のお話は難しかったですが、やはり認知のズレや歪みを修正して本質に働きかけていくということなのでしょうね。ズレは大きいですね〜。
ところで息子は突然、意識が下がることを自覚できるようになったそうです。リアルタイムに自覚できる時と後から思えばそうだったと気付く時があるそうで、下がりやすいパターンもいくつか把握しているみたいです。また、過集中した後、プツンとテレビのスイッチがオフになるみたいに、頭の中の電源が落ちるんだそうで、「1日に使える集中力って量が決まってるのかな。一気に放出すると空になるみたい。集中し過ぎないように気をつけた方がいいかも。」と話していました。
散漫か過集中かどちらかに偏りやすいんです。
気付けるようになったということでコントロールできるようになったわけではありませんが、自力でコントロールする入り口が見えてきた気がします。
でもこの前も何気ない一言が気に食わなくて、持っていた体温計を弟のお弁当のご飯に突っ込みましたから、一筋縄とはいきませんね。その瞬間、私もブチ切れて怒号の嵐となりました…トホホ。続くとメンタルがもたなくなりますね。外では自制できるのでやらないので指導できる人はおりません。
でもS先生ならそんな姿見せなくても、息子のズレに感づくのでしょうね。 1
夏みかんさん
お返事ありがとうございます。
発達の情報は外側が多いです。
精神科医のものも、注意欠陥があるので、どうやってサポートしたらいいか、とか、そういう特徴があるので、本人も、どうやって乗り越えたらいいか、周囲にどう伝えてわかってもらうか、なんて物が多かったように思います。
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足踏みはないので、やはり、げんちゃんは後退ではなく前進していたのですね。まだまだ長丁場になりますが、げんちゃんママなら事切れることなく頑張り続けることが出来るので、げんちゃんは伸び続けると思います。
言葉で自分の思いを確認できるようになって来れば、また違って来ますので、文章を書かせたり、論理的に物事を話させたりして行って下さいね。
げんちゃん、思いやりのある言葉がたくさん出て来て大人っぽくなって来ましたね。 1
ロボママさん
確かに、遠く振り返ると、年齢ごとに成長していると思いました。ありがとうございます。
普通のお子さんの今と比べると、常に差がつきすぎて、ぱっとしないのですが、支援の子たちは、昔と同じところで、止まったようなお子さんもなくはないです。それからすると、確実に動いています。
しかし、コアなところに働きかけて、エンジンそのものを大きな排気量へ・・・みたいなことになると、なかなかです。
でも、それができてくれば、外側の走りや動きは、圧倒的に変化するんじゃないか、と思います。
そんなことができたら、学会発表門やな~と思います。笑
無理なことに挑戦しているな、とおかしくなりますね。
普通の人はやらないんじゃないかな~
結果が少しでも出てくると、私の精神的負担は、ほんとに楽になるのがわかります。
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お忙しいところ返信をありがとうございます。
結果が少しでも出て来ると本当に気持ちが軽くなりますよね。変化している実感が持てることが大切だと私も思います。同年代の子と比べてしまうと確かにゆっくりに感じることもありますが、その子達は、スタートからして100歩くらい先のところからですから、比較すること事態に無理があると思います。
エンジンそのものを大きな排気量に変えられたら、もちろん状況は変わりますが、それは、学会発表できるくらい珍しく、実際に起こった場合は、特別なケースになると思います。
つまり、ほとんどの子の排気量が奇跡的に増大するということは起こらないのですから、増大しなかったとしても、その親御さんやお子さんを責めることは出来ないと思います。増大しないことは特別サボッていたり、手を抜いているわけではなく、むしろ増大した場合の方が特別で、そうなった場合は努力のおかげではないかもしれません。たまたま、そう生まれついていただけかもしれません。
親や本人が血のにじむような努力をして変わる様子は、やはり少しずつになると思います。少しずつ変わっているということは、努力をしているということだと思いまし、少しずつ変化した結果を後で振り返ってみれば、相当な変化になっていると思います。
げんちゃん中学校に行ってきたんですね。先生たちとお話してる様子がとても自然だなと思いました。
メモの字もとてもしっかりしてますね。げんちゃんは書くのと話すのどちらがスムーズなのでしょう?
息子はやはり話すのが苦手だそうです。というのは、通学途中でラインで私に話してくるんです。また帰ってきたら話を聴くねと返事をすると、話すのは嫌だ。具体的に話せないとか、上手く話せないとか、話せないと出ていってしまうとか、ラインで返事をしてくるんです。なんか追い詰めてたのかなぁと思ってしまいます。こんな状態でも話を引き出す方がいいのでしょうか?いまだに言語能力が低いのですが、気持ちの問題だけではないような…本人も話すのが苦手だとわかってるんです。なので適当な返事をしてるらしいです。
ごぶさたしております。中学2年、支援学級に通う軽度知的を伴う自閉症児の父親、あつぞーパパです。
夏みかんさんの投稿、<散漫か過集中かどちらかに偏りやすいんです。>この部分に共感させて頂き、久々に投稿させていただきます。
うちの子供も同じく、散漫か過集中です。ちょうど良い、ニュートラルの状態はほとんでありません。
散漫は<ボケ〜っとした状態>で、過集中は<力が入り過ぎた状態>です。そして困ったことに、この両極端の状態はどちらも酷く効率的ではありません。
例えば低学年の時、書字の場合、薄くて読めない文字を書くか、紙を破きそうな筆圧で文字を書くかの二択でした。運動の場合、縄跳びでは力みが酷く、縄を回すスピードがどんどん早くなってしまい、足が引っかかって多い回数をとべませんでした。
また、過集中による<力み>は勉強や運動などにとどまらず、生活の広い範囲に悪影響がありました。うちの子供は読字障害もあったのですが、読めない文字などがあって気持ちに負荷がかかると、本に極端(5cmぐらい)に目を近づけていました。そんなに近づけるから、かえって読めないのですが。
その他では、興奮などの気持ちや力みが舌(ベロ)に負荷をかけると、吃音が頻繁に出ていました。悪影響はいくらでも例が挙げられます。
対策として、書字についてはOTトレーニングで、目を近づけるクセはヴィジョントレーニングで、吃音は発話トレーニングで、ある程度改善されました。縄跳びの力んで回すスピードが早くなるクセは、ピアノレッスンでリズム感が改善され、ある程度マトモになりました。
いろいろと費用と手間をかけてきたのですが、どれだけ元が回収できているかは判りません。(笑)
さまざまなトレーニングに通ったり私なりに考えて、<散漫や、過集中(力み)>を避けて、ニュートラルの状態を目指しています。最近、気づいたことですが、うちの子供はどうやら深呼吸ができていなかったのではないか、と考えるようになりました。深呼吸がきちんとできれば、少しは力みが軽減されないかな、と考えた次第です。
(続きは後ほど投稿させて頂きます。)
ロボママさん
たしかに、スタートがはるかにちがいますから、こつこつですよね~。
それに排気量の話、こういう話をすると、そんなのおこらないんだから、ママのエゴでしょ、みたいなことを言われることがあります。
でも、人には、可能性がだれにでも無限大にあります。そう、無限大。なぜなら神は無限だからです。神が作った人間には、どんな人にも無限の可能性があります。神様は、自分の力を信頼する人を好みます。
しかし、やっていてわかりましたが、神様が、奇跡のように排気量を大きくはしないということです。
思いをつくし、そして、行動を起こし、無限大の努力をする。そしてあきらめず、神とともに歩む。
まあ、神様に不可能はないのなら、もっと手っ取り早くおねがいします、と言いたいのですが、(いや、よく言っています。(笑)私だけでなく、さらに、げんちゃん自身の、真摯な思いも必要ですしね。そこがなかなかね。
考えてみれば、今までの成長だって、げんちゃんの障害の強さを考えれば、奇跡でしょうかね~。
しかし、神さまが喜ぶげんちゃんになるように。人の基準ではなく、神基準。障害があっても、人としての心が育つこと。今のげんちゃんは、ずるが多すぎ
最高にがんばってみて、だめでも、すがすがしいし、天国に行って、神様に、しっかり文句も言えます。
だめでしたけど、私のせいではありません。私はできることのすべてやりました。あなたがご存じのとおりです。
と言うつもり。(笑)
ゆうママさん
へ~そうなんですね。書く方が楽なんですね。わかる気がします。げんちゃんも、混乱すると、書くから~と言います。
これくらいのこと頭にとどめてよ。と思いますけどね。
しかし、少しずつそんなげんちゃんも、言葉をつむげるようになっています。ほんとに少しずつです。
人とコミュニケーションをするためには、しゃべる力はあった方がいいので、ラインができるんだから、少しずつやっていけばいいのではないでしょうか。
追い詰めたりはしてないですよ。げんちゃんもそうですが、きついことはやりたくない。底を一歩どう、踏み出させるか、ということなんでしょうね。
すべてお膳立てしてやっても、げんちゃんは平気で逃げたりします。そうなったら手厳しいです。そのあたりの匙加減、お子さんによって違うのでしょうね。頑張りましょう~。
あつぞーパパさn
お久しぶりです。お元気でしたか。
2歳年下でしたよね。中学は大変ですよね。今考えれば、ほんときつかったです。
過集中か散漫・・・確かに、げんちゃんでもそういう側面あります。集中というのはないですが、力の加減です。
字を書き始めると、すごい筆圧で、ぼきぼきとシャーペンを折っていました。縄跳びが早くなるのも、ありましたありました。
吃音は、いつものことなんです。
たぶん、自分の思いと、体の動かし方にギャップがあるんでしょうね。思いを自然にものに伝えるのがうまくいくように、陶芸や、ドローン、ガラス吹き・・・げんちゃんは、S先生にいろいろやらされていました。
信じられないようなどんくさいことが続出。それって、思いと体の動きがちぐはぐということでしょう。
OTトレーニング、ビジョン、ピアノレッスン・・・出力の練習ですよね。ほんとにこつこつとやってこられたのですね。
元が回収できているか・・・・うんと、大きくうなづいてしまいました。(笑)
深呼吸はとてもいいですよね。目をつぶるというのはだめといわれたことがあります。ゲンちゃんの場合、目をつぶれば、平気で自分の世界へ逃避行したりするので・・・(笑)
でも深呼吸は、よくさせられていますよ。
呼吸は奥が深いですね。
ずっとほんとにコツコツ継続する・・・・情熱を失わず、めげてもまた、気をとりなおして・・・なんか、感動しました。
返信をありがとうございます。
人としての基準が育つこと。神基準。私もこれが一番大事だと思います。周囲の人間達を基準にしても意味はないと思います。表面的な部分、何かが出来る出来ない、という基準だけで見れば、私達の子供はマイナス100ぐらいからスタートしていますので、勝負にはならないでしょう。
しかし、精神性という最も人として重要な部分に目を向けてみれば、むしろ初めから大いに伸びて行く可能性を授けらている場合が多いと思います。
ただし、人間の力が無限だとしても、周囲の人々も子供の精神性を完全には引き上げることはできません。お手伝いしか出来ないと思います。それと同様に本人がいくら無限の力を持っていたとしても、ズルい気持ちを変えることは難しいです。
げんちゃんがズルいと言ってもズルさのない人間などいないのですから、特別にげんちゃんが他の人よりズルいというレベルではないと思います。少なくとも、げんちゃんに奇跡が起こらない原因をげんちゃんのズルさのせいだという程の極端なズルさではないでしょう。そもそも奇跡など、そうめったに起こるものではないので、げんちゃんのせいに出来る程、小さな変化なら、すでに、それは奇跡ではないでしょう。
げんちゃんのせいだとするなら、それは大人側の論理や事情が絡んでしまっている場合も否定できないので、私は心配に思う時があります。余計なお世話とは思いますが。
周囲の人々も本人に良い働きかけを続けることが望ましいですし、本人も変わる努力を続けることが望ましいと思います。しかし、すでに本当にげんちゃんは皆さんの努力のおかげで、ずいぶん高いところにまで来ていると思いますし、これからも上がり続けると思います。
ロボママさん
私の書き方が悪かったと思います。
奇跡とは何か・・・というところで、少し取り方の違いがあるかな、と思いました。
ある部分、考え方の違いがあると思います。
げんちゃんは、今まで一度もつぶれるどころか、馬耳東風。立ち位置さえ低くならない。特殊な子なのかもしれません。
彼に深く接した人は、だれしも、やれやれ、と言いながら、あきれつつも、こんな性質、自分もほしいや! って言いだすしまつ。
ほんとに一筋縄ではいきません。
改善しない、それは子供のせい、とかそういう単純なことを言っているわけではありませんが、短い文ではそういう風にとられてしまい、心配をおかけしたかもしれませんね。アドバイスありがとうございます。
発達育児をすることで、自分を深く見つめ、神と深く対話する、その中で、私の叫びは、なかなかうまく表現できないのかもしれませんね。
でも、小さな奇跡、日々おこっているのでしょう。
出会い、導き、改善、喜び。また時には、失望。そして再生・・・普通の育児ではここまで強い心の動きはないのかもしれません。
心の深みはそう単純ではありませんね。言葉にするには、いつも限界を感じます。
でもロボママさんの、高いところまで来ている、と言う言葉はうれしいです。