夏休みのメインイベント、アルバイトは終わりましたが、日常にもどれば、またとんちんかんの、ずれたげんちゃんがいます。
タイムパフォーマンスの悪い勉強を、ぼちぼちやっているげんちゃんです。
中でも、小さいころから鬼門になっていた数字、算数は、あいかわらず、とんでもないです。
計算もできるようになった、と書きたいところですが、気持ちが抜けているときは、20までの計算さえ、どうかしたら平気で間違ってきます。
しちだの4年生の問題を少しずつやらせながら、計算、そろばん、少しずつ取り組んでいるのですが・・・
彼を見て、げんちゃんの算数障害の概要がなんとなくわかります。
げんちゃんの頭はたぶん、MR撮影しても、たいして異常はないでしょう。
脳の損傷で算数ができないわけではない。でも、小さなころから、数に関するものは、徹底して気に留めない、という心の働きで、動きを止めてきたのでしょう。
(徹底してスルー)
それゆえに、げんちゃんの頭の働きのその部分は、眠ったまんま、なのでしょう。
普通の人は、気に留めない、とか言ったって、自然と入ってくるんだから、全部ガン無視とはいきません。
しかし、意識の働きのオンオフが、マニュアル操作の彼は、気に留めない、となると、徹底的にスイッチオフになってしまうのです。普通の人でも、自分がまったく興味のない世界が、目の前にあっても、大して頭に残らないかもしれません。
同じテレビを見ていても、興味のあるなしで、印象は違うし、取ってくる情報も違います。また、そこから広げていく世界も違ってくるでしょう。
俺には関係ない、というモード、気にも留めない、と言うモード。これがげんちゃんの根本病因だと思っています。
やれやれ、物心ついたときより、(物心なんてついていたのだろうか・・・)このモードが、中でも特に、数の分野に際立っていたので、げんちゃんの算数は、ほんとに難儀しているんだと思います。
もちろん、空間認知の問題も横たわっていると思います。それが、算数障害にさらに拍車をかけているとは思いますが、やはり前述した、気にも留めない、意識の抜けが、本質的なところだと思っています。
関係ない、気にも留めない、という”心の不動”を続ければ、少し入っていた状態だったとしても、ゆるやかに、腑抜けの状態に陥ってきます。
昔は、抜けた状態が、定常状態だったのですが、最近は、少しは入っている状態もあって、別に~、というこの無関心状態は、意識低下への、魔の転落階段となっています。
こういう心のエンジン停止状態は、海馬あたりの循環を滞らせ、あるいは、シナプスの活動を低下させる。その結果、IQ低下をおこしていく。
IQが高くても、本質をつかめない、ずれをかかえた困ったちゃん、というのが、世の中にはいます。
げんちゃんに比べれば、IQの高さはうらやむばかりですが、これも、”とらえよう、もっと追求しよう・・” そういう気持ちの足りなさが存在していると思っています。
気に留めないジャンルが、細やかに、多岐にわたって詳細に、存在しているわけですよ。
普通のお子さんは、すでに生きてきた年数分、頭に駆動力をかけて、脳をみがいてきたわけで、かなりのことができるようになっています。だけど、げんちゃんは、数そのものの感覚さえ、実はまだまだあやふや。
昔より、スイッチを入れようとすれば、多少は入るときも出てきた今、スイッチを入れて、眠っていた脳をしっかり1から動かすようなアプローチが必要なんだと思います。
今は、そろばんをコツコツ取り組んでいますが、それさえも、まだまだ高度なのかもしれません。
今こそ、安曇野式算数、(昔、げんちゃんが小学校時代に、私が学んで取り入れた実態物を取り入れた数の学習法。)なのかもしれません。百玉そろばんもいいだろうし・・・。
ドッツもいいのかな~。
それから、実態物、実体験に結び付けて、広がりを持たせて、脳を動かさないといけないと思っています。
先日のアルバイトで、値引きの(10%引きとかetc・・)シールをたくさん貼ったようです。げんちゃんには、算数の点が一つ増えたのです。そういうこともまた大切な駆動力。
幼児にもどって、失った時間を取り戻すようなことが必要なんだろうな、と思います。
いろんな足場を借りて、心を動かし、それを駆動力に、人並みに算数脳を動かしていくのです。
そんなことをコツコツやっています。
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こんにちは。
アルバイト終了後は、いつものげんちゃんですか。
でも心に何かは落ちていると思いますよ。
げんちゃんの算数はとんちゃんの国語ですね。
今も使役の関係がめちゃくちゃでした。
幼稚園児以下ですね。
本当にげっそりです。
起こっていることに対して気にも留めないことが数多く、シナプスの活動が低下しているのだなと。
こうやって、低下していくのですね。
興味のあるなしで頭の働かせ方が全く違うのは、最近顕著です。
興味のある方向ばかりに頭を働かせているのが続くと、将来が怖いですね。
人生、嫌なことも取り組まねばなりませんので。
それに立ち向かおうという気力がまったくない。
嫌なら嫌なりに最低限の所は向かい合うようになって欲しいものです。
それができれば、普通の子かな(笑)
ハガキの件、とんちゃんに書かせたとき、以前頂いたはがきを横において、”それを見て住所を書きなさい”と指示しました。
当然のように、相手の郵便番号に自分の郵便番号を書きましたね。
頂いたはがきを真似ればいいと思ったのでしょうか。
年末、年賀状の時も同じことをやってみようと思います。見ものですね。
実体験がないとあの頑固な脳は動きませんね。
私たちはそんな子供を相手に、コツコツやるしかないですね。
とんままさん
発達障害は、いわゆる単純な機能不全ではないです。まだ解明されていない脳より高次の魂とか、人格をつかさどるその人そのもののソフトの異常というか・・・
普通の機能不全なら、こつこつつみあげることで、ゆっくりでも進んで行ったり、もしくは全く機能不全の能力が固定化されたりすると思います。
しかし、げんちゃんたちは、ある時はできたのに、またまったくできなかったり、振り回されます。
普通の人でも、なんでもできた人が、突然ぼけてしまい、認知症になって、名前も忘れたりします。それも、まだらぼけなんて言われて、いつもかつもではない。ある時、しゃき~っとなって、お客さんの前ではしっかりしていたりします。
あれに似てます。
自分の意識コントロールは、自分でつかんでいくしかなくて、自分がずれている、というところにもっていってやらねばなりません。
だけど、ほんとに抜けたときは、もう私も手に負えません。
算数を前にスイッチを切ると、やがて、せっかく入っていた意識もだんだん抜けていきます。
いつも、しっかりとらえるんだ、と言う強い思い以外、治らないと思います。
げんちゃんはまだその強い思いが足りません。気持ちを出すのは、最初なかなか難しく、コツをつかむきっかけをどうやって作ってやるのか、その子その子でちがうのかもしれませんね。
はがきにしても、これはどういうしくみになっていたっけ、と、自分に質問して圧をかけてやれば、気づいていけるんだと思います。でも、ぱっと思いついたままにやるので、出たとこ勝負です。
げんちゃん仕事をしたことで、モノの値段や、量、割引・・・そういう立体感覚を体験したと思います。そこに割り振って、算数をやると、やはり、前より気持ちは入っているようです。
だけど、スイッチオフの歴史が長いので、まだまだ長い道のりです。ほんと、おっしゃるとおり、コツコツやっていくしかありません。