げんちゃんは、ズーム授業の日、二日間も間違って学校に行きました。初日は、学校の入り口で出会った先生に
「今日は、君はズームだよ、」
って言われて、きびすを返して帰ってきた。帰ってから、私に、なぜ、そのまま学校で受けなかったのか、担任に相談に行かなかったのか、と厳しく叱られた。どうも、歩きながら、駅のホームなどで、帰りながらズームを受けたらしいげんちゃん。
あほか、とあきれるばかり。
そして、また何も反省せずに同じことをやらかしたげんちゃん。次は、さすがに、前回叱られたものだから、担任に言いに行って、その日は学校で授業を受けたらしいです。
それにしても、あほじゃないのか。
今朝、ちょっとしたことで、げんちゃんの恐ろしい勘違いに気づきました。
げんちゃんは、学校からのプリントの、ズームのしるしと登校のしるしを反対に思っていたのが発覚したのです。
あきれはてました。2回も失敗して、まだそこを追求しようとしない。失敗した段階でわかろうものだろうに。何も追及していない。
失敗が終われば、ま、いいか・・・・と平気で流していたわけだ。
私はあきれかえって、とことん指導しました。家の前を通った人がいたら、何事?と思われてもしかたないくらいパワフルにね~・・・
その日は、体操教室だったけど、私は連れて出ませんでした。放置。私はさっさと一人で仕事に行きました。
自分に周りが手間をかけ、お金をかけ、愛をかけ・・・そのおかげでなんとか自分が引き上げられているのに、ただ上手にそこに乗っかる。外側は、上手に努力しているポーズは作るけど、まわりの出方を見ながら、上手に抜いていく。
「この程度でいいかな・・・」
人として許されないことだと思います。げんちゃんは、明らかにやろうとすればできます。いくつか似たようなことがありますが、自分が興味があれば、気持ちを入れて調べたりする。だけど、今回のことは、厳しく指導したあげくに、ヤツが言ったことは、
「お母さんが教えてくれるだろうからいいだろう。そう思っていた。」
また、こんな風にも、
「自分には関係ないと思った。」
このいつものげんちゃんのスタンスを表すセリフ。吐き気がします。
そして、学校で恥ずかしい目に合わなければ、あ、この程度で別にかまわないか・・・と、自己解釈をつけて、また穴に逃げ込む。
終始一貫してげんちゃんと言う子のずるさです。
今日は、げんちゃんを放置
「おまえに、手間暇、お金、愛をかけるなんて、無駄だよ。そんな人間死んだ方がましだよ。神様をおそれなさい!」
もちろん、体操の先生にも電話して伝えると、
「あ、それは体操やらせない方がいいです。なんか、やってやってるくらいの感覚でしょうから。ずるいですよね。げんちゃん。ほんと、」
体操の先生は、げんちゃんが上手に気持ちをぬくことを、すべて見抜きますから、安心して任せられます。
ここで、あー解放された、くらいの感覚で家で過ごしているなら、もう、げんちゃんと言う子の可能性はありません。
この日は、さすがに、家で、自ら一生懸命汚名挽回行動をしていた様子。
朝とは違って、しゃきっとした受け答え。できるんだったら、やれよっていうの!
げんちゃん、俺は普通高校に行けた・・・ま、これでいいんじゃない。くらいの感覚なんでしょう。1つ白なら100すべて白と思うずうずうしさ。ズームを休むというのだって、この学校のズームはレベル低いから、そんな感覚に違いない。
ちげ~よ! この低辺高だってついていけてないんだよ!
こいつのメンタルはすごすぎます。
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なかなか機転をきかせるということは難しいものですよね。色々と体験してきていても、積み上がりにくさというものをみんな抱えていますね。
S先生にお話しを聞いて下さり、ありがとうございます。気にかけて下さり、とても嬉しいです。
毅然とした態度で一線を越えさせない、やはりそうですか。これまで独自の方法で自己流でやってきましたから、本当にこれでいいのか気持ちが揺らぐ時もあり、でも専門の先生と同じ方向性であることがわかり、大変心強いです。
攻撃性に挑発され、我慢できずこちらも興奮してお互い罵り合いになることもありますが、これは私の忍耐の問題かな。
今までどの子も生まれた時は純粋無垢だと信じて疑いませんでしたが、生まれながら反発心が強い子、モラルが足りないなどの素行の悪さに繋がる資質を持つ子がいる。
親が愛情豊かに関わりを持っていても受容できず愛着が上手く形成できない子がいる。
この考えにたどり着いたとき、衝撃とショックや罪悪感に自分を責めて苦しい時もありました。環境が人を作るのも正しいのでしょうが、生まれ持った資質が大きく影響してしまうのが発達の子たちなのだと思っています。
IQが高く犯罪を犯す人を「あんなに頭がいいのに、何でこんな悪いことするんだろう」とよく言いますが、まさに息子のことみたいです。
学校や外ではこういった特性を出さず、上手く折り合いつけて馴染んでやれるようになったので成長しています。友達から誘われてゲームで繋がってゲームして遊んでいくうちに、少しずつ色んな友達から招待受けたりしたりしてオンラインの輪が広がってます。昼間は友達と外遊び、夜はゲームで友達と繋がって遊んでいます。家庭外に目を向ければ、社会性が加速度的に伸びてる、一方で、私と弟に対してだけきつい当たりがなかなか改善されていかないことが辛いところです。
夏みかんさん
そうなんですね~。頭がいいぶんだけ、確かに手に負えない、という面がある。発達のお子さんたちは、それぞれに大変さが違いますよね。
げんちゃんは、けっこうおだやかな方なのかもしれません。がしかし、彼のうちにあるずるさは、ほんとに天性の天才ともいうべきものですよ~。
昨日、いろいろなことを検証して、反省に至らせているときに、なぜ、そういうことをやったのか、みたいな質問をすると、
「自分が偉いと思っていた・・・」
という一文が出てきてほんとにびっくりしました。何をもって、自分がまわりより偉いと思うのか、もうぶっとんでしまいました。
この大ずれ感、ずうずうしさ。自分をも平気で捨てる傍若無人ぶりは、しつけとか、育ちとかいうより、天性のものです。幼児の頃から、ずっとそういうところがありましたからね~。
犯罪を犯して、家族が自殺なんてこと、たまにありますが、家族に同情します。こんなやつが、やってきて何しろっていうんじゃい!
と思うことがあります。
しかし、やはり、愛情をもって、とにかく、悪質な性質を溶かしていくしかないのでしょうね。
ロイヤルストレートフラッシュになったら、反社な存在になると思っています。
カードをそろえないように、徹底して、正しい立ち位置に立つ。子供と同じ位置に立って、守るだけにならないようにする。
あくまでも、自分の魂に自分が責任を持たせる・・
親の生き方や考え方も問われるんでしょうね。
なかなか修行ですね~。
常識感が狂いやすい発達障害の困難さは、育てれば育てるほど、納得いくと感じます。 1
げんちゃんはかわし方が上手くなってきたんですね。
「お母さんが教えてくれるだろうからいいだろうと思ってた」というのは甘えもあるのかなと思います。
「自分には関係ないと思ってた」「自分が偉いと思ってた」というのは確かに神経を逆撫でする言葉ですよね。心の底からでた言葉なのでしょうか?それとも本当に無邪気にそう思ってるのでしょうか?ブログから受けるげんちゃんはそんなに悪意があるようには思えなくて、状況把握が苦手なのではないかと思うのですが…。息子もやはり叱ってる時に日に油を注ぐような発言をすることがあります。でも本心というよりも自分を守るためだったり、逃げたい気持ちだったり、そんな気持ちからでる発言の場合もあるような気がしています。上手く伝えられませんが。
甘やかす気はないのですが、こんな思考回路なんだなと少し遠いところから眺めて、その思考は私は嫌いだと伝えるようにしています。それでも本人が変わらなければもうそれは仕方がない、最近はそんな気持ちです。
ゆうママさん
ほんとに、げんちゃんの心がよく読めないです。でも、少なくとも、深い思索などは、ぜんぜんできないようで、単純に幼子が捉えるような捉え方をしていると思います。
とにかく、自分の心さえ、しっかり自分のものにしていないな、と思います。まあ、やはり、精神疾患だな。。。と思います。
自分がえらいと思っていた、というのも、複雑な思いではなく、なんとなく、幼子が、大丈夫、なんかいいだろう・・・その程度の軽い気持ち。外からは、決して、賢い狡猾な人間には見えません。なんせ、そこまで深いつなげかたしてませんから。
職場のスタッフは、ズームの時に、げんちゃん横についていて、表面だけやっていることを見抜きました。しっかりとらえよう、と言う気がなく、外側だけやっている。そのくせ、表面を作ることは上手。
良い指導者は、表面だけか、心を入れてがんばっているか、すぐに見抜きますから、そういう指導者にかかると、げんちゃんは、決して評価が高くないです。しかし、表面だけ見る人には、能力低いのにがんばっている。。。という評価です。
それにしても、普通のことを普通に感じられない、感じ方の共有ができない、というのは、育てるうえで、とても困難を感じますよね。ほんと。疲れまくりですよ。なかなか本質を改善させるというのは、難しいことですね~。
甘えほんとにすごいです。甘えさせない方と思っていますが、それでも、甘えられる穴を見つけてきます。とにかく、そういうずるは、とても賢い。
バカじゃできないことだと思っています。その賢さを、別のところに使うべき、と思います。突き放して、一人にすれば、とんでもないことになる。さりとて、やってやると、甘え助長する。そのぎりぎりの環境を整え、指導する必要があると思います。
こんにちは。
暑いですね…蒸します。
>自分に周りが手間をかけ、お金をかけ、愛をかけ・・・そのおかげでなんとか自分が引き上げられているのに
そうですよね。
私も最近、とんちゃんに叱った?(怒鳴った??)ばかりです。
無駄も無駄、何度嫌になったことか。。
「周囲のみんながどんなによい指導者でも、あなた本人が気が付いて、自ら実行しないと意味がない」と。
小6ということもあり??まだ甘えは大きいです。
この言葉も響いていないようです。(一度言って響くぐらいなら、まともな子ですね…響かないからこういう子なのですよね)
身の回りのこと、学校の宿題は、突き放しています。
もうボロボロですよ。
担任にも意図は話してあるので、理解してもらっています。
昨日、学校に遅刻して行きました。
教室までついていき、登校してからの行動見ていました。
まあ、手際の悪いこと。
宿題をファイルに挟んで提出するのですが、ランドセルに入れるときに、ファイルに挟んだ状態にしておくのが普通ですよね。
とんちゃんはやたらめったらランドセルに突っ込んでいますので、出すときにあたふたしています。
普通の子なら1分以内でできる(毎日のルーティーンですし)ことが6~7分かかっていましたね。
ホント恐ろしいです。
そのあたりの指導もしなければならないなんて。
どうしたら素早くできるのだろう、考えたり工夫して自分で気が付いてほしいですが…
ある程度は教え込まないとだめですね。
失敗を追求しないということと同じですね。
「自分には関係ないと思った」というセリフ、とんちゃんは言わないですね。
自分と他人を区別する、まだそんなレベルではないのかな?
さすが体操の先生、体操以外でも関わってもらいたいぐらいですね。
貴重な人材ですものね。
とんままさん
こんにちわ。げんちゃんも、とんちゃんとさしてかわりない時代をずっと走ってきていますよ。とくに小学校の頃なんて、分類するなんてこと、できるはずもないし、忘れずに持って行ったら、それだけでオーケーという世界だと思います。
意識がしっかり入って、気持ちがしっかり入って、海馬のカギをかっちり動かす。うまくはまると、賢いお子さんのように、色んなことが滑らかに動き出す。
そういう世界から正反対。脳は、駆動力をかけられることなく放置・・・その結果、さびついていく。
それでも、心を動かすように、一生懸命働きかけて、脳のダイヤルを動かすようにがんばる。
たまにばりっとはまれば、海馬に血流が生まれ、物事ができ始める。
なかなかそういうことにならないですよね~。げんちゃんも、今だいろんなことが四苦八苦です。
でも、振り返れば、やはり、ファイルにまとめてみたり、言われればやれるようになり(気持ちが入った時)、部屋のかたずけだって、それなりにやれるようになったので、やはり、こつこつやるしかないんですね~。母親のストレスは並大抵のものではありません。
やらなければ、親が死んだあと、子供はどうするでしょう。そう甘くはないです。
今をとらえる、まずは自分をとらえる・・・過去未来、他人。まだまだげんちゃんも今からですよね。
だから、うわすべりな表面だけの指導や学習は意味がないところにきています。
だるまに目をいれるように、コアなところを改善しないといけません。しかし、それはほんとにむつかしく、道のりが長いな、と感じています。ま、しかし、できなくはない。少しずつならば・・・です。
がんばりましょう。時々息抜きしながら・・・ですね。