> う~ん。なかなかに手ごわい!
1月にSさんと行った合宿以降、一つ上がったげんちゃんではあったものの、そこからまた、激しい逃げの中に入って、今日にいたります。
一言でいうと、意識を入れた状態、つまり、やる気を出した時は、いろんなことが、ずいぶん、段階的にあがってきていますが、抜いてしまった時は、まったく状態が同じ。幽霊のように、うつろで、やれたことの多くがまったくできない、ということになってしまいます。
幽体離脱です。。
もちろん、時々入って、良いパフォーマンスを見せるけれど、それは、梅雨の際の晴れのようなもので、総じて、どんよりうつうつとした日々が続いています。
とうとう昨日から期末テストが始まっていますが、今までにないほど準備も何もしていなくて突入しました。
”逃げる” げんちゃんのそれは、ほんとにすさまじいものがあります。
「あ~疲れた、疲れた・・・やりゃあいいんだろう・・・」
そんな言葉も出ます。やりゃあいいんだろう、というのは、できる人のセリフ。お前は、できていないことも理解せず、できるくらいに思っている。とんでもねえんだよ!
K先生は、今日何時間もテスト勉強をさせてくださったようですが、もうぐったりしてました。
「は~、私なんでこんなに疲れてんだろう。そんな感じです。ふと台車を引っ張ってて、後ろ見たら、荷台が外れて、遠くにおいてきてた・・・げんちゃんの今日の勉強はそんな感じでした。何時間もかかわって、後半少ししか、意識が働いていませんでした~。」
やれやれ、ご苦労様・・・ため息が出ます。
げんちゃんは、なんというか、アクセルとブレーキをいっしょに踏んでいるような感じです。
でも、意識が入る、いわゆる梅雨の晴れ間は、ブレーキをゆるめて、新しい快挙も出てきます。前より、ずっと学習の理解が早かったり、
「僕は、土曜授業に出ていないから、日課を書いてきていない。やばい・・・」
なんて、しごく当たり前のことがつながっていたりします。ちょっとしたことですが、今までつながっていない点が少しずつつながってきています。
しか~し、とにかく、性格的なものなのか、楽したい、逃げたい・・・・これが、はなはだ強い。相当しつこいです。
捉えられるようになっているのに、捉えない。自分ができていないということを捉えない。自分を見つめられるようになっているのに、さける。ここは、ほかのお子さんより、相当にしぶとく、心にふたをする。だから、総じて横柄さが表に現れます。
逆に、良いステージが出れば、どんどん上がっていっているのに、落ちるときはまるで、底なし沼に沈んでいくようです。これは、Sさんがたとえてくれた表現ですが、なるほどな、と思います。
底なし沼だから、私たちは、必死で、落ちるのを食い止める。綱を使ってなんとか引き上げる。
今やっていることはそういうことです。だから、厳しい。押さえつけるきびしさではなく、できていないことを、徹底してつきつける。目をさまさせるような方向性のきびしさです。
まだまだ、しばらくかかりそうです。
SさんのクライアントのH君なら、同じことをすれば、もうとっくに突き抜けているでしょう。と、Sさんは言いました。
ほんと、彼が、正しく謙虚に、自分の立ち位置をしっかりつかんで、自分の心を自分でコントロールできるようになるまで、あともう少しこの格闘は続くのでしょう。
なんかもう、定期試験どころではない。心がまともな人間になれるかどうかの、今は瀬戸際です。
なんか、抽象的な記事になってしまってすみません。
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げんちゃんは生活面のことや学習面について、自分がまだ出来ていないことが多くて、一般の子と肩を並べてやって行くためには、相当な努力が必要なことは、ある程度わかっているのではないでしょうか。
でも、その努力の量が莫大なので、なかなかヤル気になれないのかもしれませんね。げんちゃんの立場からすれば、それは相当しんどいことだと思います。
かと言って、頑張っていないかと言えば、そんなことはなくて、今の頑張りでも一般の子の倍は頑張っていると思います。
これ以上の頑張りが出来るかどうかは、本当に本人の性格や望みにもよるのでしょうね。
親は出来る限り、本人が成長出来るように働きかけるべきだとは思いますが、げんちゃん本人はどう思っているのかや、性格も関わって来るので、一筋縄ではいきませんね。
roboも本人自体に、あまり欲がなくて、成績などで人の上に立ちたい!という気持ちがないため、なかなか勉強に身が入りません。
しかし、大学の工学部に行きたい!という気持ちはあるので、そこで少しばかり引っ張ることが出来ています。
げんちゃんが「面倒で疲れることだけれど、頑張りたい!」と思えるようなネタが何かあればいいのに、と思います。げんちゃんの夢に絡めて、気持ちを引っ張るようなことです。
ですが、土曜日に学校を休んで日課のことを気にしたりと、げんちゃんはずいぶん前進していますよね。
定期試験は気になると思いますし、げんちゃんを成長させる手段として利用価値はあると思います。でも、まだ、あと8回もあるのですから、3年生になった頃に自分で前向きに取り組む姿勢が出来ていることを目指すくらいでいいと思います。
楽したい、逃げたい。
うちの息子も同じです。そのための知恵ならとても上手く使えます。
だらだらと極めて非効率な勉強もどきをして、寝る時間までつないでる感じですね。10分程度でできることを1時間くらいかけてます。もちろん家で勉強するときは、一緒に勉強しています。それでも自己流で無意味なことをやったりするので、それを正そうとすると(ものすごく丁重に、こうやった方が早くできるよと提案してるつもり)不貞腐れてやめてしまったりです。
学年末テストは膨大な量です。これは最後に先生が無理やりカリキュラムを終えなければならないからでしょう。一般の子でもこなすのは大変そうです。
全てをやるのは無理なので、この単元とこの単元は頑張ろう!って提案してもなかなか…勉強することに意味を見出さないのだから仕方ないのかなぁ。
いいのかわるいのか、授業のノート等は随分きちんととってくるようになりました。考えなくてもできるわりには、ちゃんとやった感があるからでしょうか。これは褒めるところなのかなぁ。
定期テストにしばられると、かろうじて好きな英語や理科までも嫌いになりそうです。
楽しくロールプレイングしてるときはいいのだけど、これを書けるようにしよう。と言うとやりたくなくなる。
そんなわけで、我が家も定期テストのどころではないです。
ロボママさん
げんちゃんは、がんばらねばならないということは、しっかりはわかってなくても、少しはわかっているようなんです。
でも、自分のプラスの気持ちを、やりたくない、とか、めんどくさい、とか、なんとかなるだろう、とかいうマイナスの気持ちで抑え込んでいるようです。
その重しをのけるだけなのに・・・せっかく、前向きな気持ち、とらえる力あるのにな~・・・
ほんと、今は、みんなため息つきながら待ちなのかな~と思います。
自分ができてないのに、横柄・・・これは、人間として最低です。最低のところを気づいてほしいんですけどね。
モチベーションが上がることと思って、清塚さんのピアノに連れて行ったら、やりすぎてしまったみたいだし、ほんと、この子はむつかしいです。
でも、もう少ししたら、きっと突き抜けてくれるはず・・・・げんちゃんを信じようと思います。
テストは、今回、これだけだめだめで、どこまで取ってくるのか・・・・そこは興味深いです。
ゆうママさん
ほんとによく似てますよね~。逃げることに関しては天才です。笑
ノートの件ですが、ほめるときに、こう言ったらいいのかな、と思いました。
「ノートとれるようになったのは素晴らしいね。でも、ノートって、なんのためにとるのかな? ・・・自分がちゃんと理解できるためだよね。じゃあ、ちょっと質問してみるけど、・・・・」
と質問してみて、まったく目的にかなったとりかたでなかったら、そこをつきくずしてみたらどうかな~。とにかく、やってはいるけれど、目的意識がない・・・というのがこの子たちですからね。
げんちゃんも、ノートはましになってますが、それでも、ここんとこ、書いてないプリントだらけでした。学校でも、低いげんちゃんがとても出ています。
とにかく、自分の立ち位置をしっかり把握してもらう・・・ここを努力しています。
できていないことをしっかり示しています。
それでも、なかなかです。示したことを、あえて、知らん顔しますからね~。
突き抜けたら、結構行くと思うんですけどね・・・ほんと難儀ですね。
げんちゃんは、一般の子と肩を並べてやって行くために相当な努力をしているが、今後努力を続けて、それができるのか。
そもそも、一般の子と肩を並べてやって行く必要があるのか。
いずれ、自分の能力なりに生きられる道に進む必要がある以上、一般の子に追いつければ(今だけでなく、一度追いついたら今後努力せずにずっと追いついたままなら、です)一般の子と同じ道を進めますが、できなければ、追いつくよう、一生努力し続けるわけにはいきません。
そんなことをして燃え尽きてしまったら、自分の能力なりに生きることもできなくなる。
今は、一般の子の背中が辛うじて見えているのかも知れませんが、一般の子の伸び代は、ここからがすごい。
以前、健常者と障害者、どちらの道に進んでも良いように、親が準備を進めておく必要がある旨申し上げましたが、その時期はすぐそこまで迫っていると思います。
なお、げんちゃんの「逃げることに関しては天才」という要素は、大きな長所だと思います。
発達障害者は、能力の限界以上を求められるほか、ないものねだりをされる(コミュ力、思考力、判断力が無い場合でもそれを求められる)ことが非常に多く、求められるとおりに動いてたら、壊れます。
それを回避する能力は非常に大事です。
JEOさん
見解をありがとうございます。
私の考えていることは、JEOさんが解釈しておられることと、ちょっと違うんですよ。
能力なり・・・という点です。げんちゃんは、まだまだまわりにサポートをしてもらわないといけない存在です。
ということは、もっと謙虚であるべきです。できないことを伸ばす必要がない、と考える考え方も、私は否定しません。
しかし、それならば、人としてもっと、謙虚になるべきです。やってもらってありがとう、サポートしてもらってありがとう、という捉え方です。
人はみな、互いに生かし合う存在です。自分がやってもらうことが多いのであれば、自分はどんなことで、人を生かすことができるか、ちゃんと考えるべきです。
自分ができうる努力をして、自分が周りを生かしていかねばなりません。それが、人というものだと思っています。
私の周りには、それができている障害を持つお子さんがいて、それは素晴らしいです。私は、彼と話していて、とても素敵な癒しをもらうし、彼自身、やはり、今の自分より、もっとよくなることを努力しています。
私がげんちゃんに求めていることはそれです。
できないのに、横柄で、時に、自分よりできない、例えばそのお子さんをも、下に見たりします。努力する環境を与えられているのに逃げます。
これは、人として、私は正しくないと思います。私は、げんちゃんに、真摯に自分が与えられた神様からのチャレンジを受けてほしいと思っています。
普通の人になることを強要しているのではなく、誰が見ても、すがすがしい正しい生き方、考え方を身につけることを希望しています。
自己中な生き方ではありません。
ただ、それだけに焦点を合わせたいというのが、私の母親としての願いです。
お母さんが一番こだわる部分、
絶対に譲れない部分を
お子さんは拒否されてるのでは?
お母さんが良いと思うことに
お子さんは反発されてるのでは?
正義を振りかざすことは
時に残酷です。
お母さんのおっしゃることがあまりにも
正論すぎるのはいかがなものかと思いました。
お母さんはダメダメな人間になれますでしょうか。
謙虚ではない人間になれ、横暴に振舞え、と言われたら、そうできますか?
JEOさん
一般の人の伸びしろはここからがすごい、
ということ、確かにそうですよね。げんちゃんは、高校は行かずに、独自のプログラムで1~2年いろいろやらせてもいいな、と思います。
一般の人は、ここまで、真摯に”生きる”ということを必死にやらされていないですから、げんちゃんが、正しく生きる、目標をすえることができる、もろもろ。方向性をつかんだら、すごいだろうな、と思います。
つまり、マイナスが大きかったからこそ、歩めた道がある。それも、一人ではありません。たくさんの応援者に囲まれています。愛ゆえの応援です。
すみません。レスポンスがずれていたらすみません。
母はこれだけは教えたい!というところにこだわるものです。それは正義を振りかざすことではないと思います。
この子たちはピュアなところもありますが、ずるいところもあります。なぜか発達障害の子はみんなピュアと思われているところがありますが、そうではないと思います。彼らは狡猾なところも持っていて、そこを甘くみてはいけないと思います。
すがすがしい正しい生き方、考え方、私もそれが願いです。
akiさん
私たちは、人の社会で、相対的に生きています。
でも、神様の前の絶対があります。
神は、私たちを、愛によって作っています。どうして障害や苦しみがあるのか・・・それを乗り越えるための、正攻法での努力をするとき、助けが必ず来ます。でも、ずるい生き方では来ません。
この子たちは、普通の人と違って、適当に容要領よく生きていくのは無理です。ほんとに、正しい生き方をつかんだときに、初めて真価を発揮します。まあ、それが大変ですわ!
でも、それを可能にした時、たぶん。普通の意識の低い人たちより、素晴らしい人格を備えることができると考えます。
でも、aki さんの感じることもよくわかります。なかなか、親としては、悩ましいところですよ。自分自身も、ほんとに何が大切なのか、生き方をまっすぐにしていく必要を感じます。
人の目とか、周りに流されたり、とか、そういう生き方をしていては、この子をただしく導けない・・・そう思うことしきりです。
akiさん
たぶん・・・げんちゃんといっしょに何日か過ごせば、こいつ、何甘えてんだ。いいかげんにしろ!
って感じると思いますよ~。おばあちゃんも、パパも姉も、もちろん私も、彼の自己中ぶりにあぜんとしますからね~。
まあ、簡単に言うと、そういう感じなんですが、抽象的になりすぎましたね。
げんちゃんが、自己中ではなく、生活している。という前提なら、たぶん、また違ってくるのでしょうけどね~。
やはり、自己中はいけません!
ゆうママさん
発達障害児の思春期をかかえていると、その自己中ぶりにふりまわされますよね~。(すみません、発達障害でも、ぜんぜん自己中ではない人もいると思います。げんちゃんと、私の知ってる数人は、自己中です・・・根はピュアで優しさを持っているけれど。)
知的障害児というと、なんか、ほんわか良い子・・・みたいなイメージがありましたが、やれやれ、発達障害のわが子は、おこる事象を、自分の都合の良い部分だけ切り取って、勝手に解釈。しかも、他人の立ち位置になれないときてます。
そして、さらに、能力があがって、それらに磨きをかけようとしている思春期。まあ、いっしょに暮らす家族でなければわからないことだらけですよね~。
もう、成績がどうのとか、将来大学とか・・・ま、そういうことは二の次です。
人として正しく生きるんじゃ~・・・・つうことになるわけですよね。
ほんと、ここのステージ、上に行くか、下に行くか。もう、母は、なりふり構わずかかわるっきゃない! 開き直っています。
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