> 連休は、実家に帰りました。思春期に入っているいとこたちは、げんちゃんを無視して、よくある、ゲームにはまる、ぶすっとした中学生。げんちゃんは、別になんということもないようにしているけれど、合宿疲れの回復にはならなかったようです。
休み明けの登校の朝、私がちょっとだけ、くもんの英語をやったら? と言ったら、げんちゃんは、すごく反抗的でした。
7~8分のことですが
「疲れてるから!」
と悪態をつきます。なんやかんや言って、最近、学習の理解力は上がっているし、ちょっとやる気を出せばすぐ終わる、と思うけど、うまくいきません。
S先生は、げんちゃんを見るなり、
S「げんちゃんは、合宿の疲れがかなりあるね。体もだけど、心で消化してないね。」
というようなことを言いました。
G「バスの隣には、学級崩壊の首謀者の男の子をあてがわれたらしいですよ。げんちゃんは、ほんとつまらなかった、と言うんだけど、別に、その子にいやなことをされたわけでもないみたいですよ。」
S「だいたい、そういう子を支援の子の隣に座らせるのは、先生の怠慢だね。げんちゃんなら、文句が出ない、と思ったのかね。せめて、行きと帰りは、別の人にするくらいの配慮はいるんだけどね~。可能ならば、もっと短時間で、何人かと座れるようにすれば子供の成長になるんだが。」
(子供たちできめたのならしかたないね。)
でも私は、それもいい機会と思って、こう説明しました。
G「げんちゃん。問題のある子の隣に座るのって、いやだったんだね。でもね、げんちゃんの小学校時代、げんちゃんの隣に座った子は、今日のげんちゃんと同じ思いをしたんだよ。知ってる?
げんちゃんは、小学校の時、隣の子の消しゴムを勝手に借りたり、やるべきことがわからなくて、隣の子に面倒をかけたりしてたんだよ。
つまり、○○君と同じ問題児。げんちゃんの隣に座った子は、今のげんちゃんと同じ気持ちだったと思うよ。」
げんちゃん「え~?」
G「そのことイメージできる? 今のげんちゃんは、けっこう成長して、そこまで隣の子に迷惑かけたりしないけどね。
今回のバスは、神様が、げんちゃんの隣に座った友達の、気持ちを知るようにってことなんだと思うよ。」
今まで、どんなに、隣の子に感謝してね、と言ってもぴんとこなかったげんちゃんですが、こうやって、いやな思いをするたびに、逆の立場を教えるのはいいことだな、と思います。
強く心に感じた感情は、彼にとって、持っていき方次第で肥やしになるように思います。
○○君は、不思議に、げんちゃんにはぜんぜんちょっかいをかけなかったらしいです。げんちゃんも自分の世界。
さらに、勉強を見てくれるK先生は、げんちゃんに、マインドマップ的な質問をして、げんちゃんの嫌な思いを吐き出させました。
「どうしていやだったの?」
「その子はいつもうるさいからだよ。 へんなことするから。」
「え? げんちゃんに、うるさくして、へんなことしたの?」
「いや、してない。」
「じゃあ、いつもうるさくて、へんなことする子が、げんちゃんにはしなかったんでしょ。それって、げんちゃんのことを少し思いやってくれたんじゃないの?」
「(少し考えてうなづくげんちゃん)うん・・・そうかな・・・」
「じゃあ、いやにならなくてもいいんじゃない。」
「・・・・う~ん。そうかもしれないね~。」
「いろんな人がいるけれど、人はいろんな面を持っているから、最初からきめつけたらいけないよね。」
「あ・・・うん。」
K先生によると、げんちゃん自身が、その子に、最初からレッテルを貼っていたそうで、考え方の狭さを学ばせられたようです。
どちらにしても、たくさんの視点を与えることこそ、発達障害児にとっては糧になります。すぐにわかるようにはならないけれど、たくさんの視点の足掛かりを、常に常に与えなくてはなりません。
また、週明け学校に行くと、支援の先生曰く、絶不調だったようです。合宿のことを連絡帳に書いていたので、そこでも、げんちゃんは、合宿のことを聞かれました。
先生曰く、
「自分がどう感じた、ということを、ちゃんと言葉にできて、吐き出せましたよ。何しろ、4月入ったころは、言葉でなかなか表現できず、ちょっとしたことさえ言えない、そんな感じだったので、どうしたものか、と思っていました。夏休み明け、ほんとにかわってきてますね。
しかも、今日の数学は、けっこうわかった。数学おもしろ~い、とまで言いました。びっくりですよね。」
支援の先生は、国語数学の時間を延長して、普通クラスに少し遅れても、語り合う、ということの重要性を感じているようです。
げんちゃんの合宿は、かなりがんばっていたらしく、けっこう厳しい班長さんに、たくさんの落ちを指摘されたり、忘れ物を取りに奔走したり・・・・本人的には、ずいぶんきつかったようです。
Sさんによると、
「合宿は、外側の状況に合わせる、ということを訓練しただけで、そのことが内面におよぶためには、”研修の前、最中、あと”、それぞれに、有効な言葉かけが必要なんだよね。」
だそうです。
なるほど、前と最中は、すでに無理ですが、しばらく、たくさんの、”後の振り返り、学び”をしていく必要があるようです。
まさに、意識が出て、それを、どうとらえていくのか、感じ方の方向性を、どうさだめていくのか、具体的に落としていくことを学ぶ段階になっているようです。
そこができていないと、具体的に落とす前に、感情という、扱いにくい悪魔が入ってきて、暴走する。今までのげんちゃんは、それがおこっていたのでしょう。
だとすると、げんちゃんは、やっと底を打ってきたようです。
S先生のアドバイスもあり、昨日は、野球も休み、今日はさらに、一日、学校を休ませて、ホームスクールを入れました。
昨日は、のんびり、最近はまっているクラッシック音楽を聴き、楽譜にイメージの絵を描いてました。ピアノ練習も、最近は、好きなことの一つになっているようで、不思議だなと思います。まあ、クオリティーの低い練習を短時間するだけですけどね~。
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たぶん、バス席は子供達で決めたんじゃないでしょうか?
だから、学級崩壊の首謀者の男の子があまって?げんちゃんの隣になってしまったのでは?
げんちゃんは、支援級にいる間とかにきまっていたのかも?
娘の中学の時は子供達で決めてました。
先生が決めちゃうと子供達、親達からも文句がでるからか、自立に向けてなのか?
いとこの子達、少し前まで一緒に映画行ったり、勉強したりしてたのに、思春期突入しちゃったんですね。
息子も今は小学生のいとこ達と仲良く無邪気に遊んでいますが、中学生になったらそうなっちゃいそう。
なんだか寂しいですね。
みかんママさん
席のこと、なるほどですね~。
パパは
「毒をもって、毒を制す。」
と、面白いことを言ってました。笑っちゃいました。いいえて妙。
いとこの子たちは、完全に、マイナスの雰囲気でした。
あ、この子たちと、今は遊ばせたくないな、と思いました。意識が低い状態・・・というか。
発達障害の子は、上に向くように、思春期は、とくに気を付けて育てなくてはいけないような、直感ですが、そんな感覚があります。
確かに体験しただけでは、発達の子の場合、それを糧にすることは出来ませんよね。
私もroboが二泊三日の研修旅行に行った後、その時の出来事を何日にも渡って聞いて、その時取った行動の良し悪しやその場の状況の捉え方について、確認しました。
一般のお子さんは、理屈なしに、様々なことを把握して、自分のものにしていきますが、発達の子は、理屈で物事を捉えていかなければなりません。言葉で理解して消化させていく必要があります。
でも、その言葉もあいまいだったりすると、全く意味がないので、その子にわかるような言葉を選んでいかなければならないようです。
ところで、発達のお子さんは、長期の休みになると、生活リズムが崩れる上に、自分よがりに過ごす癖がどんどんエスカレートして来て、周囲の指示が入りにくくなることがあります。
ですから、否応なしに回りのペースに合わせなければならない学校が始まると、状態が良くなることが多いです。
だんだん、自分で自分をコントロール出来るようになって来れば、このような落差はなくなって来るようです。自律心が生まれるということです。
roboなどは、長期休みと学校がある時では、あまり変わりません。でも、それは自律心があるわけではなく、私からのプレッシャーがかかりやすい子だというだけです。
今後は、自分で自分を律して行ける子にしていかなければならないと思っています。
また、げんちゃんは、丁度、意識が出て来て自己主張できるようになって来た時期とも重なったので、余計、夏休みが大変だったのでしょうね。じき、感情を抑えて、意識が前面に出るようになるといいですね。
ロボママさん
的確な解説ありがとうございます。
発達障害の子は、ほったらかすのだけは、ほんとに危険ですよね。思春期になると、暴走することもあって、何を言っても遮断されると、ならば、勝手にしなさい、思い知るでしょう・・・みたいなことをして、実際犯罪でニュースをさわがせることすらあります。
こっちの思惑のようにいかないのです。普通なら、ぶつかって、こう思い知るだろう、と予想する着地点にいかず、暴走したままになる。そんな感じです。
だから、手間暇かかろうと、噛んで含めるように解説し、ときには体験させ、と忍耐強い育児が必要です。
こういうことをしてもらっている、ということさえ、自覚はなく、生意気で横柄。げんちゃんも、K先生を筆頭に、学習の時間の半分近くは、お話しのことも多いです。
でも、それをやらないと始まりませんね。
そのあたりが、ちゃんとわかってくるようになって、自覚が生まれると、個性的な能力もあるので、きっとすばらしいオンリーワンの才能を開かせてくれるんじゃないかな、と期待しますが、そうそう簡単にはいきませんね~。
日本の学校の欠点もありますが、きちんとした基準を入れてやる上では、役に立ちますね。基準があまりしっかりしていないフリースクールより、今のステージでは、げんちゃんにはあってると思っています。
体験を 言葉にして説明し、落とし込んでいく…とても地道で、大切な作業ですね。げんちゃんも その対応が今は大事なんですね。
息子は失敗をした時が 心が大きく動くので チャンスです。元来が真面目な性格なので、また失敗したくない!と思うようです。
先日も下校中に息子から「傘を網棚に忘れてしまった。これから駅員に相談する」の電話がありました。「いやいや、ビニール傘だし、名前も書いてない。そんなことで駅員さんの手を煩わせなくていいんじゃない」と答えました。
それより ワタシが「えっ?」と思ったのは、傘を網棚に置いた点。その日は小雨が降っていたので、傘は使用したはずです。
早速帰宅してから、傘を網棚に置いた点を確認し、それがなぜいけないことか、下に座った人に水滴がかかる可能性があること、非常識な行為だったことを説明しました。
本人は荷物が多かったから、何も考えず 傘を網棚に置いてしまったらしいですが、下に座った人の立場を指摘されると、神妙になっていました。
更に後日、一緒に電車に乗った際は ゲリラ豪雨の日だったのですが、「見てごらん、傘を網棚に載せている人は1人もいないよね」とダメ押しもしておきました。
そんなことも 想像できないのか、やれやれ(泣)の気持ちになりますが、親はその度に伝え続ける必要があることを実感しました。
今回のことは、たまたま本人が話してくれたから、発覚したことですが、学校などでの行動は 全部を把握するのは難しいですよね。子供も都合の悪いことは話さなくなってきますし。先生と連携を密にして、先生にも「失敗は教えるチャンス」と理解していただき、何かあったら、家庭にフィードバックしてくださる環境を作っていきたいと思ってます。
今のステージだから できる作業であり、今後の為に大切な作業でもありますね。すぐに行動が変わるわけではありませんが、伝え続けていきましょう。
ひつじさん
そうなんですね~。傘を網棚に置くなんて、普通あまり考えないですよね。”考えりゃわかるでしょ”といかないのがこの子たちですよね。え、そこまで教えなきゃいけないの? ということだらけですよ。でも、そこを忍耐してしっかり教えていかないといけないのでしょうね。こっちも、パニックになって、つい叱ってしまうけれど、しかっても、何も意味がわかっていないので、時間の無駄、ということが何度もありました。
生活のすみずみにいたるまで、そういうことだらけなので、ほんとに疲れますよね。
でも、先日いとこたちを見て、思ったのですが、彼らは、逆に、できるでしょ、ということで、何も細かく指導されていないと感じました。それゆえ、ほんとに、好き勝手な方向に行っても、誰も何も言わない。それでも、社会では、それなりにやっていく。結果的に、高い意識はなかなか持ちにくいんじゃないか、って感じました。
ストイックに、一つ一つ丁寧に入れて行っている発達の子は、成功すれば、精神性も高く、豊かな生き方になるように思いました。がんばっていきましょう。
今度初めて学校で宿泊学習に行きます。
バスの隣の子を見たら支援級の子。
どうやって決めたの?と聞いたら、子供達で決めたそうです。
希望したのかなと思ったら、じゃんけんで負けて隣になったそうです。
部屋割りも子供達で決めてよかったみたいで仲良しの子達ばかりの部屋に。
人数の関係で他の部屋に支援級の子が入ったようですが、そのお部屋の1人の子が、支援級の子は嫌だ嫌だと騒いだようです。
息子とはそういうことは言ってはいけないよねと話したのですが、小5で、部屋割りもバス席も自由に決めるんだと驚きました。
息子の小学校は、支援級の子の交流もあまり盛んではなく、なかなか仲良くなれる雰囲気ではありません。
登下校も親子だし。
せっかくバス席も隣になったし、この宿泊学習を機にお友達になってくれるといいんですが…
みかんママさん
そうですか~。宿泊研修、色んな学びがあればいいですね。
支援クラスの子、といっても、いろんなタイプがいますからね~。一から10までお友達がサポートしてなんぼ、と言う子もいるし、普通クラスの子の印象も、一つではないのでしょうね。どういう子なんでしょう。
支援クラスの子が、クラスにいる、というのは、とてもいいことですよ。普通の子たちは、それでいろんなことを学びます。また、普通の子の良い悪いをあぶり出すリトマス紙みたいにもなります。
まあ、神様がそういう役割を与えているのかな、ハンデキャップの子たちに・・・・と、思います。
親も教師も、子ども達も、発達障害の子で研がれます。お子さん、どういう反応を見せるのでしょうね。また報告してください。
roboが小さい頃、偏食がひどくて、主人が「お腹が空けば、何でも食べるだろう。」と言ったので、私が「お腹が空けば、何でも食べるのは健常児。お腹が空いても何も食べず、飢え死にするのが障害児。」と私は言いました。
げんちゃんママさんがおっしゃる通り、私達が放り出してしまえば、それで終わってしまうのがこの子達だと思います。
でも、それを本当の意味で受け止められるのは、親しかいないと思います。げんちゃんにしてみても、ママさんが本気で頑張っているから、他の方々も手助けできるわけで、頑張っていない親の子は、周囲の大人も、友達も引き受けることは出来ないと思います。
それほど、障害のある子の課題はそれぞれ深刻なものがあると私は思っています。
roboなどは、個別支援級出身でしたが、一般級に転籍してから、席替えをする時、roboの近くの男の子用の席は、じゃんけんで取り合いだったくらいです。
親御さんが頑張っている発達のお子さんはプラスのエネルギーを放っているとげんちゃんママさんもおっしゃっていましたが、そうなのかもしれません。
また、先生方に、robo君は、周囲の子の状態を判断するリトマス試験紙みたいだ、と言われていました。roboがその子のそばにいるのを嫌がる場合、障害があろうがなかろうが、相手のお子さんに何か大きな課題があるとおっしゃっていました。
ロボママさん
すっかり返信遅くなりました。中間試験前、パソコンの前に座る暇がありませんでした~。
やっと、今日は、学校に行きました。
いろんなことが伸びていますが、げんちゃんが普通か、というと、やはり、ぜんぜんで、障害だな~、ここは、と思うことがたんまりです。
絵画教室の先生と話したのですが、発達障害のおやは、それを認めたくない人が多かったそうです。教室に来ても、結局続かなかった、と言いました。私はめずらしい母親だと思う、とも。
そうですよね~。子供を、しっかり客観的に見て、人任せにせず、自分で取り組んでいかないと、やはり、周囲も手が出せないですよね。
親自身が、どれほど、普通から逸脱しているか、しっかりつかまないと、周りも、客観的な意見が言えないですね。
そういう意味では、親の考え方姿勢を問われる育児です。きちんと受け止めて、親も成長していければいいかな、と思います。
それにしても、ロボ君は、みんなに好かれるんですね。ロボ君の特性と、ロボママさんの育て方、両法あると思います。すばらしいことで、これからの武器になりますね。
この子たちは、周囲から愛されるものを持てるかどうかが、社会で生きていくうえで、大きく違ってきます。
げんちゃんは、まだまだ、謙虚さが全然足りないし、これから、という感じです。