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テストでお疲れだったのは、げんちゃんだけではなく、私も、ちょっと頭を使いすぎていたようです。がんばったので、何か大きな収穫があって当然、そう思い込んでいるところがあったのかもしれません。
しかし、この1週間、げんちゃんは、いいとこなしでした。
明日までに、理科のテストのやり直しを書いて提出、というのに、いっこうに、テスト問題を持ち帰ってきません。日々の生活の段取りの中でも、あぜんとすることは続きます。集中してやればいいのに、だらだらと、意識をとばした学習をやります。とどめは、今週の食パン切です。6枚に切るのよ、と、毎週のようにやっているのに、げんちゃんときたら、真っ二つに切って、とうとう4つ切りにしてしまいました。
ため息をつきつつ、あきれつつ、S先生にぶつぶつつぶやいていました。
。
G「げんちゃんは、たとえば、多動でちょっとうっとおしいようなお子さんより、おとなしくて、障害の程度が軽いように感じていたけど、意識障害という点で見れば、そういうお子さんより、かなり重症な子だったんですね。」
S「そうです。例えは悪いけれど、認知症の老人が、ぼ~っと座っているような感じで、見ていても見えていない、聞こえていても聞いていない、ひがな一日、意識のない世界に住んでいるのに似ていたね。」
G「仕事で出会う発達障害のお子さんや、コメントをいただくママのお子さんとか、自分はこう思っている、こうしたい。とけっこう主張する子に出会います。そういう子を見ると、なんか、すごいな~と思ってしまう。」
S「げんちゃんは、自分がどう感じているとか、どうしたいのか、とか、自分の内部にある感覚さえ、しっかりつかめていないから、そういう意見はなかなか出てこない。」
G「先日、オクラ入りの納豆を食卓に出したら、げんちゃんが、「ぼくは、こういう食べ方は好きではないから、納豆とってくる。」と冷蔵庫に走りました。パパと二人で感動しましたからね~。」
S「その程度のことでも、感動の対象になるわけだよね・・・
自分の感情さえつかめていないのだから、人の立場になれるわけもない。」
G「なるほど~。なんか、人格のない動物のようでした。
でも、それが、やっと、意識というものが、感情の外に出てくるときが出現してきて、時には、感情支配を凌駕して、しっかりと意識を表面にあらわす場面も出てきたように思います。
そういうときは、人格と人格で交われる感じがします。勉強の仕方も、意識をしっかり入れて、目的意識をもって、問題を見ているときがある。まあ、認知症の人が、親戚が訪ねてきた時だけ、シャキッとするような感じです。入っているときは短くて、スイッチがオフになったのを、つい気づかずにいってしまう。」
S「わかりますよ~。食パンが切れないというのもね、彼は、ただ切る、ということだけしかつかんでいないんです。しっかり意識が入っていれば、6枚に切る、とつかめるけれど、ぼんやり、「切る」、ということしかつかんでいないから、平気で4枚に切っちゃう。
でも、だからといって、切れないのか、というと、意識がはいっていれば、また次の時は、切れたりする。」
G「安定性がないですよね。」
S「今のげんちゃんのおもしろいのは、がっつり発達障害、というひどい状態にいるげんちゃんと、グレーゾーンのげんちゃんと、かなり普通、というげんちゃんが、時間差で、出てくるんです。」
G「確かに、・・・もうふりまわされまくりですよ。」
S「そして、げんちゃんのもう一つおもしろいのは、たとえは悪いけれど、卵から出てくるひよこみたいなところがあることだね。
卵が、少し割れて、普通なら、そこをつついて、さらに、卵を割って、ひよこが出てくるけれど、げんちゃんは、そとから相当見えているのに、つつこうとしない。
とうとう最後は、体が大きくなってしまって、自然と割れるしまつ。今までそれを繰り返してきてなんとか、今のところにきている。
もう、できるときだよ。出ておいで、というのに、まだ、意識を入れない自分に逃げようとするんだよ。」
G「確かに、私たちは、そこを、ほんとに口惜しく感じる。」
S「できないわけではない、ちょっとつつく気持ちがあれば早く出てこれるのに、シャットアウトするんだよね。何かがおこっても、自分とは関係ない、と切り捨ててしまう。結局考えられるのに、考えない・・・まさにそこ・・・」
G「でも、絵画教室の絵は、伸びましたよね。」
S「げんちゃんは、絵が好きみたいだね。自分がどうしたい、とか、どう感じるとか、絵で表現できてきたのだから、それを言葉に表現できると一番いいね~。」
G「絵って、そういうことなんですか~。
私は、昔、三角さえ、ぜんぜん描けない子が、絵がうまくなって絵描きになる、ということがありますか?と、療育関係者に聞いたことがあったんです。
相手は、答えられなかったです。
子供の可能性の、もっともありえないようなことがおこることがあるのか? と聞きたかったのです。
こんな知的障害の子に、必死でトレーニングする意味があるのか、と暗に聞きたかったのかもしれませんね。
でも、今なら言えますよ。あり、です。算数障害のげんちゃんが、数学者になる、ということは、ちょっと考えにくいけど、絵と同じ理由をつければ、ありうるってことになります。」
注 げんちゃんは、絵を描くために、何年も訓練させた歴史があります。この絵は、ほんとに意識をしっかり入れていることを感じます。
・・・・・・・・・・・・・・
私は、ほんとこの一週間、あれこれ思いつつ、もんもんと、行きつ戻りつのげんちゃんを見つめていました。ぼ~っと雨だれを見つめているみたいに・・・
だから、ブログもなんとなく、書けなくて・・・・
そう思っていたら、今日になって、げんちゃんが、うれしそうに絵を持ってきました。国語の時間に、詩を読んで書いたようです。
親指の向きは変ですが、確かに、彼の絵は、変化してきたのかもです。S先生の言葉を借りれば、自分の意思をもって、自分を表現できてきたのかもしれませんね。
そろそろ、動くかな~。
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卵の例え、おもしろいですね。
息子は、まだ出てくる時期ではないのに、あの手この手で無理矢理割っちゃうか、もしくは、もう出てくる時期なのに、身体を丸めたりして、がんとして「出ない!」となるかのどちらかだと思います。
一旦出ようとしても、何かのきっかけで、「出ない!」ともなります。
常に行動に意思が伴うので、息子の気持ちを常に読みつつコントロールしなければいけないので、気をはる必要があり疲れます。
今年の先生は、漢字小テスト、100点取れるまで何度も再テストするので、最初息子だけ最後まで再テスト残ってしまい、嫌だーって言っていたのですが、次のテストでは、再テスト一番最初に合格したみたいで、次は再テストにならないよう練習するーって漢字にやる気を出すようになりました。
それはよかったのですが、最近、麤とか鬱とか、学校で習わない画数の多い漢字をまた調べ練習し始めました⤵︎
一年生の頃、それはやめさせようと働きかけてしまったことで、その後漢字に拒絶反応をだすようになってしまったため、今回は、やめさせないように、付き合ってあげる予定です。
何が楽しいんだか。
先日、サッカーの試合が雨で急遽中止となり、サッカーのイベントを探し、出かけてきました。
普通にお出かけしよと誘っても出てくれない息子で、サッカーのワンデースクールやサッカーのイベントとかだと喜んででかけます。家にいてもゲームばかりになっちゃうし。
今回、大きなショッピングモールのイベントホールで、大勢の買い物のお客さんにも見られる場所で見世物状態で、参加も低学年、初心者が多く、息子も珍しく嫌だとなり、私も失敗したと後悔したのですが、もう予約してしまったし、もう受付した後だったので、そのまま参加することになりました。
内容は、残念な感じで、息子1人だけできる感じなので、デモを何度もやらされました。
1時間よーやく終わったーと思ったら、次の回も参加するというんです。
なんで?って思ったら、そこで、4年の子とお友達になり、その子は、親が関係者で、次の回もでるようで、自分も出たいとなったようです。
もーそーなると止められません。
1時間待ってまた同じイベント(1時間)に参加。
なかなか行けない大きなショッピングモールで、いろいろお買い物したかったのに⤵︎
一事が万事、こんな状態です(-。-;
げんちゃんの絵、詩の雰囲気にあっていて、素敵ですね。プロの人の絵かと思ってしまいました!
絵が好きで、気に入った詩を題材にしたものだったために、意識が入ったのでしょうね。げんちゃんは、音楽や絵画など芸術方面にも才能があるんですよね。
げんちゃんの障害の程度がもし軽くないとしたら、ここまで伸びたことは、大きな功績だったのではないでしょうか。
突き抜けない!と思われるのは、目指すステージがとんでもなく高いからなのであって、げんちゃんのスタートからすれば、もう何度げんちゃんが殻を突き破って外に出て来たのかわからないくらいなのではないでしょうか。
roboだって、数学者や画家を目指すと考えれば、一度だって、殻を破っていないのと同じですから、私もブログは毎日書けないと思います。笑
今後、げんちゃんが何かをつかむためには、確かにまずは、自分の感情の動きを捉えることが必要なのでしょうね。げんちゃんには、強く願うというところがない分、こだわりがなくて接しやすい一方で、内側から突き上げるようなエネルギーが湧きにくいということがあると思います。
でも、絵を通してそういう思いを抱けるようになるかもしれませんし、定期試験を繰り返し受けることで、心が揺さぶられるかもしれませんよね。とにかく、様々な体験を意味あるものにしていく働きかけが必要だと思います。すでにげんちゃんママさんはされていますが。
みかんママさん
お子さんのことを読むたびに、げんちゃんと、パターンがぜんぜん違うし、自分がどうしたい、というのが、クリアに出ていることに、いつもびっくりしてしまいますよ。
げんちゃんは、書いたように、自分が、どうしたい、という思いがちょっとわからないときが多いです。まあ、ゲームをしたい、という思いは強いですが、・・・・
オクラ納豆の話のように、自分の好みを、みかんママさんのお子さんは、しっかり伝えてきますよね。あれは、自分の意識をしっかり働かせていることで、げんちゃんの昔のステージでは、皆無だったように思います。
しかし、ショッピングモールでのできごとを読むと、確かに大変ですね~。だけど、イレギュラーなことが、自分の世界の中におこっていって、そこから、壁が突き崩される、ということも、経験の中ではたくさんおこるわけで、
このあとの、もっていきかたで、少し広がりをもてるのかも、と思いました。
経験のあと、どの点に結びつけてあげるか、かしこいお子さんが、すとんと落ちる声かけ、あるのかもしれませんね。
経験は、この子たちにとって貴重です。時々、私も、せっかくの経験を、何倍にできるか考えます。でも、なかなかで、時々だいなしにすることもあるのかもな、と思います。
接点をたくさん作ってあげて、広げやすくなるといいですよね~。
それにしても、漢字、すごいです。彼の興味は、ほんとに不思議ですね~。
ロボママさん
なるほど~・・・
確かに、ぼ~っとしたげんちゃんを、今のげんちゃんまでもっていけたと考えれば、ほんとにすごいことかもしれませんね。
私は、本質的なところが、ちっともかわらないので、なんか、時々、ため息をついてしまうのですが、かわるところは、確かにすごくかわっているのですよね。
それに、今までなら、「ぼくは、絵が描けないから・・・」と言って、自分から描くことはありませんでした。絵が好きだよ・・とS先生に言われたときは、違和感がありました。
でも、この絵を描いてきたときは、確かに、げんちゃんは、描くことが好きになっている模様です。
きっかけで、ほんとにかわるもんなんですね。
今は、絵を習わせるときだ、と、直感で思って、教室を探したのですが、あの直感も、自分の中では、やはり、意味があったのでしょう。あとから、納得していきます。
絵をほめてくださってありがとうございます。確かに、指のしわや、関節をしっかり観察しています。空間認知がまだまだ弱いのですが、やりたいという気持ちにつきあげられて、それもこえていけるのかもですね。意識が入れば、この子たちは、けっこうなことをやりとげるのかもしれませんね。絵も、げんちゃんは、意識が入ってないと描けないものなのでしょうかね~。
絵の進化が、ちょっと楽しみになりました。
>強く願うところがない分、こだわりがない・・・というのも、なるほどな、と思いました。
場当たり的な行動をすることが多いし、いきあたりばったり、という言葉が、ぴったりのげんちゃんですが、そこの部分もかわっていけるのかな~・・・
確かに、その本質的な刹那主義は、いつもげんちゃんにつきまとってはいるものの、周囲の色んなことは、やはり、どんどんかわっていってますね。
本質にせまる日が来るのを期待したいです~。
ロボママさん
音楽は、ほんとにオンチで、リズム感が最悪ですが・・・・才能があるのでしょうかね~。ちょっと笑っちゃいますが、表現したい、という気持ちや、その世界は、発達のお子さん達は、やはり、特別なものをもっているのかもしれません。
まだ、モーッツアルトのトルコ行進曲は、細々ですが、トライしてますよ。あれは、情熱がないと、絶対ひけませんよね。だって、能力のはるか上の曲ですもの・・・
色々やらせてあげたいけど、なんせ、中学はいそがしいですね~。
Kさん
ありがとうござます。
そうなんですか~。絵の専門家にほめてもらえて、うれしいです。
>対象物そのものをよく見て描くのが日本画なら、空間を描くのが洋画です。
そうなんですか~。知りませんでした。この詩を読んで、彼の中にどんなものが動き出したのでしょう。
絵って、人の内面に働く力、あるんですね~。発達の子は、絵が描けない子もたくさんいますが、やはり、なんとか、とりあえず、描ける、というところに、もっていくのがいいんですね。
絵が描けないことに危機感を覚えて、がんばってよかったな~、と思いました。
すごくよくわかります。
発達障害の子二人いますが、上の娘(小2)は本当にそんな感じです。
赤ちゃんの頃から大人しくて、所謂イヤイヤ期もなく、言葉の遅れ以外はすごく育てやすかったです。でも、きっと自我みたいなものは全く育っていなかったんですよね。
成人した発達障害の方が、「幼少期は自分で自分の気持ちがよくわからなかった、常に受身だった」とネットで書き込みされているのを見たことありますが、娘もまさにこの状態なんだろうな…と思います。加えて娘は新しいこと&失敗に対する不安感が強かったり、自分から興味を広げていけないので、関わり方が難しいです…。
げんちゃんの絵は、本当に凄いですね!
げんママさんのブログ、幼少期の頃から読ませていただいてますが、しっかり絵を描きあげたり、ピアノを今でもずっと続けていたり、昔のげんちゃんからは想像つかないです(すみません)!
きっとまだまだげんちゃんは伸びていくんだろうな、と思います。
娘も、どうにか世の中のあらゆる事に意識を向けてもらいたいです。
しょうママさん
昔のブログも読んでくださってありがとうございます。
ほんと、絵が描けない子だったのを考えれば、うそみたいですよね。
小学校1年生でも、げんちゃんが、自分で、自分の洋服の身繕いをしゃっしゃとする姿は、どうしても想像できなかったです。
ステップバイステップ・・・・小さな進歩でも積み重ねていけば、大きなものになるんですね。日々をチャレンジと思ってがんばっていくしかないのでしょうね。
げんちゃんも、ほんとに育てやすかったです。にこにこして、おとなしく・・・目は合わなかったけど・・・
でも、小学校の4年生までは、だんだんうっとおしさが出てきてました。あれは、進化の過程だったのでしょうね。
なかなか、本質的なことはかわれないでいるのですが、そこも、チャレンジしたいと思います。
やがて、発達障害? どこが? と言われるようになったらいいな~・・・・と思います。がんばっていきましょうね。二人の育児、心折れる時もあると思います。いっしょにチャレンジしていきましょうね。
発達障害の人は自分の世界に入ってるから自分の興味の無いことには基本関心がないです。
だから、IQテストの結果だって集中して解いていたかわからないので、IQが低いと決めつけるのはよくないですね。
もっと大きくなってみないとわかってこない気がします。
あと、具体的に質問していって、真相心理を深堀していかないと、本当の意志疎通や彼の行動原理を理解することはできず、大分消極的な大人になってしまいます。
あさん
確かにおっしゃるとおりですね。
IQテストも、パフォーマンスに差がでますね。
知能が低い、というよりも、興味がないことの場所に、アクセスしない・・・という感じですよね。
気持ちも、自分で把握できてなくて、根ほり葉ほり、質問してやっても、??みたいなことも多いですよね。
わからなければだまっている・・・げんちゃんは、そんな感じなので、学校でもトラブルはおこさいようですが、アクションをおこせば、やはり、ずれているのは発覚するでしょうね~。
意識改革・・・・なかなか大変です。
コメントありがとうございます。
げんちゃん、いい絵描きますね。親指の向きは、おかしくないと思いますよ。水をすくうように、少し手を丸くすると、親指の爪が見えるから、それを描いたんじゃないのかな?
テストが終わって、私が抜け殻になってます。
意識、意識…本当に意識障害だと改めて認識しています。意識が入らない状態のテストは悲惨ですね。そもそも解ける問題が少ないのに、数少ない解ける問題は注意力不足のミス続出。不注意も意識の問題ですよね。いつかは50分間意識を入れ続けることはできるのかしら?
ゆうママさん
終わったんですね。お疲れ様でした。ほんと、疲れますよね。私なんて、たぶん、2週間くらいは、疲れていたような気がします。50分しっかり意識を入れるなんて、たぶん、まだげんちゃんもできません。
字がほんとに汚い教科がたくさんあって、あ、これは、気持ちがぜんぜん入ってないな~とわかります。
意識って、普通の私たちは、わざわざ考えないですよね~。この子たちは、意識がだいじ、っていうことを、神様が教えるために、最近たくさん生まれさせているんだ・・・と、S先生は言ってました。ことの真意は別にして、意識大切、よくわかりますね~。
それから、親指は、すくう形のつもりなんですね~。まあ、げんちゃんにしては、上出来です。ほんと。