中学1年 3学期
◇ げんちゃんを、K先生やくもんの先生にあずけて、自分が学習などにかかわらないと、一見伸びて、いい感じになった、と思ってしまうのですが、少しでもかかわると、ほんとに、ぞっとすることが多いです。
今日も、K先生がレッスンできなくて、午前中仕事を休んで私が教えました。チャレンジタッチの算数をやりました。図形の面積や体積をやっていったのですが、そこでまた私は呆然としてしまいました。台形の面積を出すのに、げんちゃんは、まったく無意味な式を書きました。上底+下底、というのと、÷2,というのだけ、どこかに残っているのでしょう。すすすっと、わかったかのごとく式にしたものは、それを使ったでたらめのもので、彼が、台形の面積の出し方の意味など、決して考えることはない、ということがわかります。
もちろん、自分でもうろ覚えだったと思ったようで、ちょっと頭をかしげるのですが、図を書こうとか、そういう意識は毛頭生まれてこないようです。しかたがないので、私が誘導してやると、彼は、また、理解するというのではなく、私の言葉尻からつかんだことをでっちあげようとするだけです。
「台形は、二つの形をこうやって合わせて、平行四辺形にするんだよね・・・」
説明してごらん、と言っても、げんちゃんの口からは何も出てきません。ひたすら、沈黙するか、私の言葉尻を覚えて、そこだけを言ってその場逃れをしようとします。もう、何度も何度も繰り返し説明してきたことだし、プリントを続けていると、すらすらできることもあります。つまり、わかっているのかな、と思える答えも出てくるので、そこがやっかいなところです。 結局、彼は、自分の言葉を使って、何一つ説明もできないし、ちゃんと理解もできていないようです。悲惨な格闘劇を続けていくうちに、え?もしかして、面積、ってことの意味がわかってないの? 感覚がないのかも・・・・・もしかして、そこまでさかのぼって、わかってないのかも・・・・という、恐ろしい現実にぶち当たりました。
そして、彼と格闘していて思うのは、げんちゃんは、会話ができない、ということです。日々会話しているようなことは、会話ではなく、単なる対話です。
ママ「がんばれた?」
G「うん、がんばれた。」
ママ「そう、よかったね。先生が、げんちゃんが、国語の問題を解くときに、○○・・・・・・・・×× だったと言ってたよ。その宿題プリントって、どんなのだったの?」
G「・・・・え~っと。普通・・・かな。」
ママ「普通って、文章と漢字?」
G「・・・かな? あ、お母さん、今日、電気がつけっぱなしだったよ~。」
ママ(ふ~・・・疲れる・・・文章になるのは、その程度の会話かい・・・)
彼のは、会話じゃなくて、対話だよ、とS先生が解説してくれました。一見、会話が成立しているようで、ただの意思表示にすぎないやりとりです。ある意味、意思表示にもなっていない。だから、げんちゃんと会話するのは、ほんとにしんどくて、話題を簡単な浅い内容に落とすだけ落として会話している自分がいます。何か、彼から聞き出そうとすれば、つまり、インタビューすれば、そこには沈黙しかなく、こっちが、会話のリードを根ほり葉ほりしていくことになります。げんちゃんと話すと疲れる・・・・結果的に、私は疲弊します。
友達ともうまく話が咬むように見えますが、相づちや、一言の返しでしかありません。良く観察すれば、げんちゃんが、意味のあることを言ってることは、まれです。たまに自分の興味のあることを言うときに、たどたどしく、長い話をしますが、それさえ、普通の子にすれば、短いセンテンスにすぎません。マインドマップも、ほんとに、行き詰まる時はめいっぱい行き詰まりますし、できても、単語がぼつっ、ぼつっと出てくるにすぎません。
「そう、げんちゃんは、○○って思うんだ・・・」とか、つなぎの言葉を入れてやって、会話を埋めてやる必要があります。とうてい、普通のお子さんの、中身のある、なめらかな会話など、遠いかなたです。連絡事項とか、簡単な意思表示とか、そういうものならできるでしょう。それを会話と思いこんで暮らしてきた、そういう言い方もできます。この子たちを自閉症スペクトラムと読んだりするのは、よくわかります。言葉があっても、ほんとに限局された広がりしかありません。
先の、台形の問題だって、言葉として、意味をつかむこともなく、ただなんとなく、宙を舞う言葉を、しずくのように集めて、理解したというのとすりかえている、なんか、そんな感じです。なんとも、恐ろしいことだ、と、凍り付くような気持ちになりました。色んなところが伸びているのは確かですが、恐ろしいほどの深い淵が横たわっていることを感じます。くもんのプリントを一生懸命やってるげんちゃんですが、単なるプリント学習では、見えてこない、げんちゃんの闇。
この闇を前に、途方にくれる私です。
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私と息子の会話(対話)のようです〜。息子との会話はリズムよく進まないし、内容もお粗末すぎて、楽しくないですもん。ほんと、疲れます。こちらの気力がないときは、もう話したくないです。
台形の面積の学習の様子も、なんだかわかります。うちはさっき割合の復習をしていたのですが、え?そこまでわかってなかったの?と思いました。
またまたパターンで回答してました。
つまり、「AはBの何%ですか?」という問題を2〜3問やったあと、「Aの20%は何ですか?」という問題がでてきたら、なんと、A÷20とかしてしまうんですよ。まるで考えてないというのがわかるでしょ?数字の意味をまるでとらえてないんです。血の気がひきましたよ。
同じく、一見できてるように思えるんです。でも理解ではないんですよね。世界のとらえかたも私たちとはまるでちがうのだろうな、と思います。なんだかいやになっちゃいますよね。そして、健気にプリントやってる子もなんだか気の毒ななってきました。突破口があるのでしょうか?
げんちゃんに算数を教えて得意にさせるチャレンジは本当に壮大なものだと思います。
なぜなら、それはroboに球技を得意にさせようというのと同じだからです。私もroboがサッカーを楽しめるくらいにしてやりたいと思って、さんざん努力しましたが、途中であきらめました⚽💦小学校2年生の夏休みなど、個人指導の先生に月何万も払ったりして、散財しましたが無理でした😭
げんちゃんママさんがおっしゃる通り、げんちゃんの算数が伸びて来たら、発達障害の凸凹は大きく改善できる!という証明になりますね✨
私が諦めてしまっただけに、凄いなぁと思いますし、それに応えようとしているげんちゃんもやっぱり凄いなぁと思います。
また、会話力も自閉症スペクトラムの子は凹の部分ですよね。ここを改善するのも、壮大なプロジェクトになると思います。
1口に会話と言っても、多くの要素から成り立っているからです。
まず、圧倒的なボキャブラリー不足が原因になっている場合が多いです。様々な物の名前から、それらを形容する言葉、自分の感情を理解しそれを言い表す言葉など、不足している場合が多いので、これらを一つ一つ入力していく必要があります。
また、人と会話することの必要性や喜びを知らないため、なかなか会話力が開発されていかないこともあります。
それから、そもそも興味に偏りがあって、幅広く物事を観察して把握することが出来ていないので、ある状況に関して話題にしようにも、全く状況判断ができていないということもあります。
極めつけは、共感性の低さにより、相手が何を話してほしがっているのか、どんな風に説明すれば伝わるのかがわかりにくいです。抽象的な物事への理解力も低いため、今している会話がどこに向かって行っているのかも理解しにくいです。
というわけで、会話は自閉症スペクトラムのお子さんにとっては共通した最難関事項なのではないかと私は考えています。
roboも会話が苦手なので、日頃から少しでも、会話力がアップするように働きかけてはいます。
本人の好きなことを話題にして、話の内容に広がりを持たせたり、より相手に伝わる説明の仕方を簡単にアドバイスして、なるべく楽しめるようには工夫しています。
また、その一方で、roboにとっては興味のない話題にも付き合う練習もさせています。その友達が興味を持っていることで、会話をするように教えたりもしました。
でも、友達の好きなことを話題に出来るようになるためには、やはり、本人の興味にある程度広がりがないといけないので、まだまだ課題が多くあります。
また、さらりとしたやりとり程度が出来ても、深いところまでには、全く到達していません。今後の課題ですが、どれくらい伸びるかは全くの未知数ですね😨
ゆうママさん
>こちらの気力がないときは、もう話したくないです。
私も同じことをS先生に愚痴りました。泣
S先生は、たんたんと、
「わかります。もっと治さなきゃ、親は大変ですよ。ほんと、1年生ではじめて会った時は、わ~・・・これじゃあ将来大変なことになる、って思いました。」
としみじみ言われました。わりと距離のある人は、
「そうですか~。げんちゃん、普通に会話してますけどね~・・」
とかおっしゃいます。一見げんちゃんが、レスポンスするので、そういう風に言って、私をはげまそうとしてくださいます。でもね~・・・違うんですよね。まったく。何かがぜんぜん違う。だから、S先生のように、等身大で受け止めてもらうとほっとします。
>え?そこまでわかってなかったの?と思いました。
子どもの理解の現状をしっかり把握できないんですよ。質問しないし、言わないし、集中力や意識が安定してないし・・・・だから、できてる、と思っていても、すっこぬけてたりして。安心感ゼロです。そのことが、彼への人格への安心感にもつながってしまって、ときに、うんざり感がひどくなって、どうしようもなくなります。
げんちゃんは、将来私への非難になってくるんでしょうが、こっちも、それなりの理由がありますよ。発達障害の子から受けるストレスフルな母親ライフ、名前つけてもらったらいいんじゃないかな~・・
発達ママストレス症候群 とかね・・・そうすれば、将来、子どもも、親の苦労が少しはわかるんじゃないかな~。
>突破口
あると思いたいです。アユミンさんをはじめ、多少でこぼこがあった方が、立派に活躍されているのがはげみです。
人生一生学び、と考えれば、もっと長いスパンで取り組むような視点がいりますよね~。かなり、私的には無理なんだけど。できないものだから、そうならざるえなくなってきてる。笑 小学校でなんとか・・・が、今度は中学校でなんとか・・・になってる。笑
まあ、あきらめずにがんばりましょう。
ロボママさん
いつもはげましてくださってありがとうございます。
ほんと、どれほどはげみになっているか。泣
>私が諦めてしまっただけに、凄いなぁと思いますし、それに応えようとしているげんちゃんもやっぱり凄いなぁと思います。
さすがに、私も。高校数学までは、もういいかな、と思っていたけど、最近、中学数学も、もういいかな・・・という気力になってきています。とほほ
でも、げんちゃんの最初を考えれば、5年生くらいでも、20までの加減が、いまいち不安定でしたから、5年から突貫工事で、よくここまできたな、と言えるかもと、思って、自分を鼓舞してます・・・
>また、会話力も自閉症スペクトラムの子は凹の部分ですよね。ここを改善するのも、壮大なプロジェクトになると思います。
やはり、自閉症のグループとして分類した最初の博士は、鋭かったんですね~。
>圧倒的なボキャブラリー不足
なるほど、確かにあるようで、ボキャがぜんぜんないです。本を読んでも、意味を取ってないと思います。しかも、6年生レベルの本になると、ちんぷんかんぷんのようですし。ここは、トレーニングでなんとかなるかもですね~
>また、人と会話することの必要性や喜びを知らないため、なかなか会話力が開発されていかないこともあります。
ここ確かにありますね。会話は、今からだよ・・・とS先生は言ってたので、そうかな、と思います。
私に話しても、そうやさしくにこにこかえしてやらないので、大好きなくもんの先生に会話のアップを担当してもらおうかな・・・と思います。
くれぐれも、対話にならないように、会話にもっていってもらうように、今度お願いしようと思います。
>それから、そもそも興味に偏りがあって、幅広く物事を観察して把握することが出来ていないので、ある状況に関して話題にしようにも、全く状況判断ができていないということもあります。
確かに、話題にするほど、そこから情報をとってきてない。さすがですね~。
>今している会話がどこに向かって行っているのかも理解しにくいです。
は~。もう三重苦ってわけですね。読みながら、またどっと疲れてしまいました~。手強すぎますね・・・
最難関事項・・・それでも、げんちゃんにとって、算数よりましかもです。先に国語からどんどんのばしたほうがいいのかもですね~。
ロボママさん
くもんの6年のテストをためしにやってみたら、国語85点、算数50問中時間内にできたのは12問、時間切れだったようです。国語が少しできるなら、算数の文章題だって同じだろう・・・と思うのですが、どうなんでしょう。もし、お考えがあったらおしえてください。
ロボ君にロボママさんが働きかけている言葉かけは、すごいと思います。私は、彼とからんでいると、すぐにいらっとして、叱ってしまいますからね~。
今朝も中庭(1週60mくらい)を全力疾走で10本走ってから勉強を始めましたところ、昨日の午後の勉強と比べても、全く取り組みが違います!
私は中庭を走るroboを2階の窓から時々見て、手を振って応援していました。🙋…🏃💨
ところで、算数の文章題についてですが、ただ国語力があっても、なかなか解けないというのが実状のようです。理由は二つあります。
一つ目は、数字と言葉を結びつけて体験したり考えたりする場が日常生活にはほとんどないため、問題に書かれている内容が実感できないからです。
普段は「駅まで歩いて行きましょう!」とは言うし、そういう体験も繰り返していますが、「100m先まで歩いて行きましょう!」などとは言いませんし、そういう体験も繰り返してはいないのです。
ですから、数や単位を実体験する場を多く持つことは大前提として必要だと思います。
例えばroboなら、初代ガンダムのプラモデルを1/100スケールの18cmで作ってから、お台場の実物大初代ガンダム18mを見に行ったりしたこは良かったことだと思います。
本人の好きなことにからめて体験させると、より理解が深まる気がします。
続きます。
二つ目は、算数で使われている用語には「独特な言葉」が多いからです。特殊な言い回しが多くて、これまた日常生活で体験していない事柄ばかりだからです。
例えば、対称軸の問題で「点Cに対応する点はどれですか?」という問題がありますが、日常生活で使う対応の意味と算数で使う対応の意味は明らかに違いますよね。
これについては、ひたすら、算数の文章問題を解かせて、この言葉はこういう意味で使われているのよ、と教えていくしかないですよね。
独特な算数用語の意味を理解した上で、初めて文章問題を解くことができますし、さらに、応用問題に挑むことができるということになると思います。
単に算数の文章問題を解くと言っても、何段階もの工程が必要で、気が遠くなりそうですね。でも、そこに向かうための学びの一つ一つは、同時に、他のことを成し遂げる下地にもなるので、本人の成長には大きな意味のあることだと思います。
ただ可愛いがられる障害者になるためと言っても、好きに遊ばせていても、そうはなりませんよね。
体幹がしっかりしていたり、清潔感があったり、挨拶が出来たり、意識レベルが高くてしっかり働ける方が、やはり、周囲の方々に好感を持っていただきやすいと思います。
そのためには、運動能力・学力・適応力(社会性)という三つの要素をバランス良く向上させていく必要があると思います。
息子は、相変わらず国語は苦手ですが、算数の文章題はなぜか解けます。
コミュニケーションも幼稚園までは最悪でしたが、今は得意なほうです。
ボキャブラリーはかなり少ないしかなり幼いのですが、いつも笑顔で優しく、共感力も高く、自分の意見もちゃんと主張するし、健常の娘よりもはるかに対応が上手です。娘に、息子の話し方や対応を真似しなさいと何度も言ってます。
親にはあんなにキレるのに、外では、一切ありません。
私も、キレてない息子とお話しをするのは楽しいです。
会話だと問題ないのに、本も大嫌い、読も書きもダメなんですよね⤵︎
少し複雑な人間関係もなぜか理解でき、それに合わせて対応もできてます。
不思議なんですよね。
ロボママさん
>一つ目は、数字と言葉を結びつけて体験したり考えたりする場が日常生活にはほとんどないため、問題に書かれている内容が実感できないからです。
そうなんですよね~。言葉にしてもらってありがとうございます。なんか、次のアユミンさんのコメントとあわせて読むと少しわかりますよね~。
しかし、どうして、普通の子についていくその能力がついていかないのでしょうね。げんちゃんの場合情報をとってくる海馬が悪いらしいので、幼児の時、外界の情報を何も吸収できなかったということなのでしょうかね。
今は、少しずつ改善しているので、おそまきながらその頃できてなかったことを追体験しないといけないのでしょうね。
それと、言葉も、しかりですね。
それぞれ、とか、二つ合わせて、とか、半分にして・・・とか、そう言う言葉でさえ、ピンときてないようなところがあります。ほんとやっかいです。
昨日、公文の簡単な通分プリントを4枚くらいやったら、もう、きついきつい、と、ぼやいていました。そのくせ、国語はぜんぜんいやじゃなさそうです。
私にしてみれば、ほんと、意味わからん、というかんじです。
みかんママさん
以前ロボママさんがおっしゃっていたように、お子さんは、ギフティッドと呼ばれるような、峰がはっきりしたタイプですよね。
それにしても、ソーシャルがどんどん得意になってきてるのは、将来ほんとに、素敵ですよね~。
げんちゃんにも感じる時があるのですが、相手の空気を読めるばかりが好かれるポイントではなく、ちょっと鈍感な方が、ほっとされたりすることもありますよね。そこが人間関係のおもしろいところです。
げんちゃんも、攻撃的なところが治ってくると、なんか、癒し系になっているようなところがあります。相手がやばい状況でも、たんたんとして、自分の世界をつらぬいていたりして、損なんか、特なんか・・・よくわからないですよ~。
国語力がないと書かれてましたが、相手が喜ぶこととか、いやがること、とかは、ちゃんとわかるんですよね。それって言葉以前のことなのかもですね。おもしろいですね。
一般の子も数字と言葉を結びつけた体験をしていないので、数字に普段から興味のないような子は、文章題が苦手な子がいます。
そういう場合は、ひたすら文章題を解いて、数字と言葉を結びつけて考えるトレーニングをしていけば、だんだん慣れて解けるようになるようです。
しかし、発達凸凹の子は、特に言葉だけ得意だったり、数字だけ得意だったりして、認知に偏りがあるため、ただ文章題だけ解いても出来るようにはなりません。
実体験と文章題を解くということの両方をやっていかなければ、なかなか解けるようにならないと思います。
げんちゃんは、くもんの6年生の問題で国語は高得点だったんですね。げんちゃんは本当に伸びていますね。算数も小さい頃に比べれば、飛躍的に伸びていますよね。こんなに伸びているお子さんはやはり稀だと思います。
ロボママさん
コメントを本文で使用させていただきました。ありがとうございました。
げんちゃんは、国語は好きみたいですね。もちろん、6年のむつかしい問題は、太刀打ちできないのですが、(とくに抽象的なもの)、でも、簡単でとらえやすい題材は一生懸命とりくんでいますね。くもんでテストで客観的に伸びをしらせていただいたのは、すごくはげみになりましたね。くもんは、そういう明確な段階がたくさん分けられているのもいいところですね。げんちゃんも、ずいぶんうれしそうだったようです。
コミュニケーションですが、しいて言えば、出川みたいな感じです。
初対面でもすぐ仲良くなれます。
初めての場所に行ったり、自分以外みんな知り合いというようなところに1人で入ったとしても、ニコニコしながら、入れてと入っていってしまいます。
中には、嫌だよ!とあからさまに嫌がられても、全くめげずに違う子に声かけて、そのうち、この子入れてあげよーとなります。
ボキャブラリーがなくても、海外での出川みたいに話したいことは、通じるようで不思議な感じです。
お笑いが好きで、バカにされたり、笑われるようなことがあったら、おいしい?というような感じの対応します。
例えば、学校で、おならがくさいと笑われたようで、息子は、ケタケタ笑いながら、俺のおならくさいんだよーと言ったみたいで、その後も、自分で、俺のおならはくさいんだよって自慢げに?みんなに言って、笑われてます。
サッカーチームで、コーチからプラスの言葉をかけるように口すっぱく言われているため、仲間のミスで失点されたりしても、決して非難せず、ドンマイドンマイ、大丈夫だよと言います。
同じチームの子達でも、結構非難する子も何人もいますが、息子はどんな時も責めません。
そのおかげか、普段のコミュニケーションもプラスの言葉で、人を傷つけるようなことも言いません。
ボキャブラリーも少ないし、4年にしてはかなり幼いですが、お友達の人間関係の話しをすると、理解してて、同じ日に遊びに呼ばなかったりしていたり、遊んでいるのをみると、言い切りではなく、提案型で話しをしているし、揉めた子達の仲裁もできたりと、コミュニケーション力が自然と身についていることに驚きます。
底辺の底辺の国語力が上がってくれればうれしいのですが、そんな気配は全くなく…
会話力と国語力はリンクしないんですかね?
みかんママさん
おもしろいですね~・・・国語力ってなんなんでしょうね~。コミュニケーションには必須だけど、そこがたけていても、必ずしも、良い人間関係は作れないということですね。
コミュニケーションは、会話以外の部分もありますね。たしかに、顔色を読む、とか、雰囲気を読む、とか・・・出川ですか~。彼は、タフですよね。もって生まれた性格のところもありますよね。ほかがかなりいけてるのに、どうしても、周りから好かれにくい、というお子さんもいるので、そういうタイプのママからは、ほんとによだれが出るほどうらやましい能力ですね。げんちゃんも、ユーモア大好きですよ。受けたいみたい。ただ、どこでも、爆発、というわけではなく、くもんで炸裂しているようです。
サッカーに育てられたところが大きいのでしょうか、もともとなのでしょうか・・・・私には分析できませんが、すごいことですね~。将来、まわりにどんどん引き上げられそうです。