>とうとう最後の一週間になってきました。夏休み、修羅場も相当ありました。やれるだけのことはやりました。もっとやりたかった、といういつもの夏休みの感想と毎回同じ感触です。
げんちゃんは、できるだけアウトソーシングしてK先生にやっていただきましたが、私も、仕事のやりくりをして、スイミングに連れて行ったり、チャレンジタッチの相手をしたり、できる限りやりました。
本人も頑張ったと思います。
でも、今日も、修羅場でした。
今日は、K先生が予定があったので、K先生がいつもやってくれている宿題の算数ドリルを私がやりました。早起きして、朝食作って、9時から学習に入れるように、私なりに段取りしました。今日は、昨日からいとこの中学生のお姉ちゃんもお泊りに来ていて、いっしょに勉強することになっていました。
朝しょっぱな、げんちゃんは、ドリルに取り組みました。ものすごく汚い字で、いつも、線は定規をあてて書くんだよ、と言ってきたのに、完全無視してやっているので、
「げんちゃん、定規で引いてね。」
と言うと、まったく無視してやり続けます。
「それから、ここに途中の答えを書いておくよ。」
それも無視、
「ちょっと、ちゃんと聞いて。」
私もいらっとします。
「うるさい!」
げんちゃんは、あえて、私に対して怒らせるようなことを連発してきます。その結果出した答えはでたらめです。
絶対にK先生にはしない態度。
完全に切れます。思わず、手があがる。ほっぺたひっぱたいてしまいました。
「あ~だから、お母さんの勉強はいやなんだ! 学習虐待だよ。」
とぬかしてきました。
今日は、仕事の段取りを無理してつけて、私は努力してここにいます。このがきときたら、なんでもやってもらってあたりまえ。私はこういうのが大っ嫌い。いろんな人が自分のためにいろんなことをしてくれている。そういうことの上に今の自分があるんだということを、爪の先ほども意識しない。常に自分、自分・・・
「は~。学習虐待? そういうのはね、成績の良い子の話だよ。あんたは、自分の人生切り開いていくためにやってるんでしょ。このままなんもしなかったら、ずっといっつも支援だし、なんでも自分でできないんでしょ。それじゃいやだからやってるんでしょ。意味違うわ!」
「第一、あんたがここまで来るのに、どれだけ多くの人が応援してきたと思ってんの。今日だって、ママの職場の人が応援してくれて、ママが休みをとってるの。そういう人の努力とか好意とか、まったく考えないで、当たり前と思うな。あんた何様なの? 母親なら何してもいいと思ってんの。ええかげんにせ~よ。あんた、一人じゃぜんぜんできてないじゃん。できてないから、教えてもらわなきゃいけないんでしょ。それなら、そういう態度ないやろ!
」
まあ、ほんと切れたので、すごい爆弾を落としてしまいました。
げんちゃんを見てると、確かにこういう反抗的な態度は成長なのかもしれませんが、いつも、自分のことだけ。自分がやってもらっている、なんて意識がみじんもないところは、嫌いです。自分の恵まれている環境は、当たり前。いつも、自分自分・・・相手がどういう思いでやってくれてるか、とか、そういうことは、眼中にない。それを障害というのだ、と言われても、もう、げんちゃんは、少しわかるステージにきてます。そんな逃げはやめろ、と思います。
たぶん、発達にがんばって取り組んでいるママのお子さんは、ある程度伸びてくると、だんだん知恵がついてきますが、いつも、やってもらっているのが当たり前、という感覚が抜けません。これは、大きな課題です。いつも、サポートサポートできてるから、そこから旅立てない。
すると、親戚のおねえちゃんが、
「あんた、だめでしょ。ちゃんとしないと・・・」
と、宿題から目を離して、げんちゃんをにらみました。
げんちゃんは、なんか、びっくりした目つき。第三者にたしなめられるのは、ふいをつかれたような感じだったのかな?
朝の3時間は、結局、1時間分の効果しかなく、ほんと疲れました。
発達ママの友達は、げんちゃんが、私に対して偉そうに反発してくるときに、ぴしゃっと言ってくれたりするんですが、そういうのやっぱり大切だよね、と思います。愛をもってきっちり叱ってくれる第三者がいるげんちゃんは幸せだよな~、と思うのでした。
でも、他人がそうしてくれるためには、親がびしっと、だめなことはだめ、と、頑固に線引きする必要があるのだと思います。親が、一番の悪者にならなきゃ、他人は叱れないわな。
職場に行きながら、ほんと、アウトソーシング徹した方がいいな、とあらためて思います。ただね。げんちゃんの学習のやりかたは、普通のやりかたを重ねただけではだめです。わかったようにしていても、わかったように見えてるだけ、ということも多いし、ノウハウは、すべてアウトソーシングではうまくいかないです。そこは、しっかり、先生方とすりあわせをする必要があるのかもしれません。
でも、アウトソーシングといったって、お金もたくさんかかるわけで、そういうことに、げんちゃん自身が意識をもって、感謝する人間にならなければ、この育児は成功とはいえないな、とかねがね思います。何様?という、げんちゃんの現状は、彼を愛してがんばってくれる先生たちみんなで、ためていく必要があります。そこは、何と言われようと、私は、ぶれることはないと思います。
でも、客観的に考えれば、お姉ちゃんの前で、ええかっこしたかったのに、私がアドバイスしてきたのがいやだったのかもしれませんね。ま、成長も見られるんでしょう。でも、その時のげんちゃんの態度思い出すと、また超むかつきます。将来、子供は親の批判をしてくるでしょうが、自分が、それを引き起こした、ということは、常に、蚊帳の外なんでしょうね。そこを考えられるようになったら、真の成長でしょう。そこまでもっていきたいと思うママでした。
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あぁ!もぅっ!! ってくらい分かります。
え?ウチのこと??っていうくらい同じです。
なんなんでしょうね?あの何様ぶりは。
私も我が子に恩をきせるようなことは言ってはいけないと思いながらも(やはりひとえに愛情ゆえなので)、あまりにもひどい何様ぶり、やってもらって当たり前ぶりに、「僕できるし。」ぶりに、この現状に持ってくるためにどれだけ家族一人一人がどれだけの我慢や苦労をして、そして毎月どれだけのお金が動いているのか、つい爆発して懇々と明かし、そして思いっきり詰め寄って逃げ場のない責め方をしてしまいます・・・。
我が家の救いは、私の実家の両親と住んでいるので(この生活も回復プロジェクトの一環です)、私が爆発しても、「お母さんがなんで怒ってるか分かる?お母さんは何もなかったら怒ったりしないよ。」「それは〇〇くんがいけなかったわ。それじゃあ ばーちゃんでも怒るな。」「お母さんを悲しませるようなことしちゃダメじゃないか。お母さんは〇〇のことを一生懸命考えて毎日必死に頑張ってくれているんだから。そうじゃないか?」と、決して怒った私の方を責めたりせず、私が怒ったことを優しく肯定してくれるので、息子を迷わすようなことにはなりません。これが義理の両親との同居だったり、主人がいると、ちょっとでも”かわいそうじゃないか”的な口出しされてしまうので、そうなるとややこしくなると思います。実の両親だからこその暗黙のチームワークという感じに本当に助けられています。母以外の人からのその一言がやっぱり大事だし有り難いですね。
卑屈になって欲しくはないですが、やっぱりいつも今ある自分に感謝の心を忘れない人になって欲しい。そう願うのは、まだ早すぎるのでしょうか?
ののさん
たぶん同じですよね~。普通の子でもそういうところって、育ちにくい子は育ちにくいですしね。
私は、恩着せがましい事、しょっちゅう言ってます。
「あんた、だれのおかげで今があるんよ。あんた、幼稚園の時なんか、どろーんとしたガキで、どうしようもなかったでしょう。ママがやってやんなかったら、ピアノだって、勉強だって、絵描くのだってなんもできん子でいますよ。いまだに。・・・」
げんちゃんは、
「あーあー出た出た。・・」
と偉そうに言います。常に他人様のおかげを言い含めておかないと、こいつは、勘違いする、と思います。発達障害児は、目の前の白黒はわかって、えらそうに講義するくせいに、何段階かの構造の白黒、つまりグレーはほんとわからないですよ。学研の先生と、常に、ヤツには、いろいろ教えさとして、グレーの構造をわからせねば、と言い合っています。
これが、母親だけになると、ちょっとやばいですが、他人様がたくさんかんでくれると子供には良いと感じますね。お母さんありがたいですね。
我が家は姑ですが、私に口をはさまないでいてくれるので、援護射撃になっています。でも、姑がやさしいので、そこに刷けぐちをもっていって、姑にはもうしわけないことをしてます。
学年があがったらそういうことを理解できる頭の素地をつくっていっておかないと、やっぱりきついな、と思います。低学年のうちにやることがたくさんあるってことなんでしょうね。
確実に5年になって、成長をしていますが、ステージがかわっていることを感じます。母が岩のように動かないようにせねば、と思います。私をこえていってほしいですね。
こんにちは。10日に及ぶ旅行に行ってまして、完全に勉強から遠ざかってました。帰ってきてから、すこし残っていた宿題にとりかかるだけで修羅場になってしまいました>_<彼は宿題を終わらせなくては…という気持ちすらないようです。手取り足取り励まして、つきっきりでいなくては進められないようです。旅行帰りは洗濯物や片づけがたまっていて、私も忙しいのに、用事してる間にやっておきなさいといったこと、いっさいやりません。ずーっとこれが続くのかと思うと、気が遠くなります。
そして、反抗的な態度‼️勉強するより死ぬ方がましだ…なんてことまで言い出す始末。もうどうしたらいいものか…。第三者的には課題が難しいからだと言われるのでしょう。もちろん、九九とかの百マス計算なら嬉々としてやります。でもそんなことしてても前に進まない。彼らはこちらから先に進めないと、安易なところで留まると思いませんか?
自分で考えてやってほしいです。がんばる気持ちがあるけどできないというのなら、いくらでもつきあきすが、まさに「やってもらってあたりまえ」いったい何様なのかと思いますよ。機嫌とって、ほめて、持ち上げて…そこまでしないとやらないって>_<どうしたら心がそだつのでしょう?
ご無沙汰しております。来年は最高学年、五年生の夏休みは本当に気が焦りますね。うちの息子はサバイバルキャンプで一週間、テニスキャンプで四日間、一人での外泊はもう鼻唄混じりで、まぁそこは成長なのですが、やはり学習面は厳しいですね。一学期は、出したと嘘をついて一ヶ月も宿題をサボり続けてました。そういう悪知恵も発達の一つなんでしょうが、それが学力には結び付いてきませんね。
あと少し、お互い頑張りましょう。
ゆうママさん
ほんと、みんな同じですね~。でも、少しずつましにはなっていってるんですよね。ほんと数ミリずつ、って感じ。
げんちゃんは、宿題はしなければ、というのはないことはない。でも、その行動様式だと、まわりは、やらなくちゃと思ってないでしょ、ととりますわ。
つまり、本人ないことはないけど、なんか変なんですよね~。やりたいことが、やるべきことより、常に先にくるんですよね。
旅行とか、子供の好きなことやってると、たぶん、いいかんじなんじゃなかったですか?
なかなかむつかしいですね。
死んだ方がまし・・・なるほど。げんちゃんも、そういうのあります。死にたい、とかね。
でも、パフォーマンスなので、
「そんなんで、私がびびると思ったら大間違い。死にたいんだったら、死ぬ気でがんばって、それから死んでくれる?」
と平然としています。親子の格闘ですね。
MTパパ
宿泊研修が、しっかりできるのは、すごいことですね。でも、親は、ひとつできると、はい、次、と思いますよね。
学習は、ほんとなかなかむつかしいです。げんちゃんも、ほんとにたくさんやらせてますが、まだ追いつかないです。
だけど、やめずに続けているので、確実に進歩してます。やはり継続しかないです。
ところで、発達障害の子は、けっこう自衛手段からうそをつくことが多いような気がします。あるていどの年齢になると、能力のおよばないところを、ごまかしてなんとかクリアしていきます。
げんちゃんも、できないことが恥ずかしい、という思いが芽生えてきて、わかったふりとか、まあ、いろいろ、そういう兆しが表れてます。
たぶん、普通クラスで無理をしているようなお子さんのほうが、とりつくろって、なんとか過ごさなければならない場面が多く、自衛手段として、うそが出てくるのだと思います。
うそといってしまうと、聞こえが悪いですが、いわゆる、彼らなりの防御反応です。そこは、少し考えて対処が必要だな、と最近思います。まあ、うそがでてくるのは、ある意味、成長です。よそいきを意識できるわけですからね。
5年生、大人の階段上り始めてますよね。どのステージも子供と向き合っていくしかないですね。
ただいま生活作文をめぐってバトル中です。
きんたろうは「~をがんばったら,ご褒美に…する」っていうことがわかってません。
「作文が終わったら,プールに連れてってもらう」
「宿題を終わらせたら,公園に行っていい」
「宿題を終わらせてからおやつを食べる」
私たちは,「ここまで仕事ができたらプリン食べよ」とか,
「仕事頑張ったから,自分にご褒美」とかしますよね。
この簡単な図式がわかりません。
報酬が先にほしくてゴネます。
ゴネている間にしたらもう今頃終わってるよ,と突っ込むのですが。
ゴネる理由は報酬が欲しいばかりではありませんが,いったんゴネると引きずり,こちらは単純な理屈を理解しない子どもに腹をたて,気分が悪くなり,結果,1時間の間に10分しか作業できないということになるのです。
IQを十分に生かしきれていない。
障害のせいで,インプットが制限されているなと感じる瞬間です。
長いと思っていた夏休みが終わろうとしています。。。あれもこれもと思っていましたが、割り算(3ケタ割1ケタ)、掛け算3ケタ×2ケタ、3年生の漢字の復習と定着、都道府県、理科と社会の復習で終わってしまいました。が、そこに毎日公文の国語のプリントなので。。毎日バトルでした。『そこ、考えなさい。』『いつも同じ間違いをしてる。』注意されたら怒りだし、泣き出し『もう一生勉強なんてしない!!』とわめきますし。。。『一生しないで困るのは誰だと思ってるの!!勉強しないなら出ていきなさい!!』と吠えてました。どれでも毎日『勉強するよ!!』というとやるので小さいうちに癖をつけておくというのは本当に大切だと自画自賛しています。都道府県も本当は習った漢字を使って日本地図の白地図を見て書ける様にならないといけなかったんですが、また各地方毎に名前を言えるレベルですが。。。数の概念ももっとしたかったです。大きい数の何倍やら何分の1とか数直線とかお手上げなので。。。。4年生の後半どこまでやれるか怖いですが地道にやっていくしかないですね(泣)ブログを拝見しながら頑張ります。
きんたろうの母さん
まったく同じですね・・・
報酬を言うと、今度は、そればかり気になる。
よくわかります。普通の子でも、低学年だと、そういう感じかもしれないですね。
でも、次のステージに入ると、少しよくなります。
げんちゃんも、最近は、報酬につられてがんばる、という、しごくあたりまえのことができるようになってきました。
進化していけば、どこかで獲得しますよね~。進化進化進化・・・
右肩上がりを少しでも続ければ大丈夫なんだな、とこの夏休み感じてます。
階段状に見えるあがりかたで、上がらんな~と思えるつらいステージも毎回同じですね~。
やめなければ、必ず上がる。これは、私の確信で、たぶん、やってる方の確信でもあるでしょうね。
収穫の秋と行きたい9月ですね。
ここあさん
よくがんばりましたね。親と子ともども・・・
げんちゃんの一年前を見るようです。げんちゃんは、そこから1年で、やっぱり、すごく指導が楽になりました。たぶん、ここ最近。あ、上がった・・・と感じました。
この夏やったことは、必ず成果になって現れます。前頭葉元年、と私が書いてから、そこから先もずいぶん長かったです。でも、やっぱり、前頭葉が開いてきたんだよね~。ちょっとそう感じたここ1週間です。やったことは、すべて蓄積されて効果になっていくんだな、と思います。
来年、再来年・・・がっかりすることも多いけど、期待しましょう。