ママの格闘と改善のダイアリー

自分の子が発達障害?
それって何? から始まった。

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やっぱり算数の学習障害に格闘してます。 その1

> ここんとこ、2週間、久しぶりに、げんちゃんの取り組みについて、頭の中でまとまらなくて、私はもんもんとしてました。

 もんもんとしている理由は、自分でもわからなくなるほど、多岐にわたっているのだと思う。

 たとえば、げんちゃんの書字がマッサージで良くなったと思ったけれど、ぴくっと出た書字の峰に、すべてがいっきに収束していかなくて、あいかわらず、汚い字しか書けないこと。
それも、1つの理由だと思います。

 そして、あいかわらず苦しんでいる算数地獄も、私の気分をふさがせてしまう大きな理由でしょう。

 最近、自分の中で、算数の取り組みが、なんとなく見えてきたような気がしていました。げんちゃんのために、算数の取り組み方を、新たにアレンジしていました。

 そろそろ、その成果が出る頃だとふんでもいました。でも、結果は落胆することに、まったくそうではありませんでした。まるで、一匹もつれない漁のように、すくい上げた網はすかすかです。
 しかけを考え、漁場もしぼってやっているのに、まったく釣れない・・・・なんだか、最近の私の感覚です。

 もんもんとしながら、毎日毎日自問自答して、矢ヶ崎先生に聞いたり、学研の先生と長々と考察してみたり、もう一度、何が原因なのか、ずっと考え続けていました。

 書字は、まだもんもんとしているのですが、算数地獄については、また、気を取り直して、取り組みなおす気になったので、ちょっとまとめてみようと思います。

 げんちゃんが、ひとけたの足し算ができるようになったのは、2年生になってからです。引き算は、未だに不確実かもしれない。それでも、3年の夏休みから、20までの足し算引き算を反復しています。

 もう、どれだけしたでしょうか。・・・・とにかく、なんとかできるようになったのだから、反復して行けば、定着して次に行けると思った私は、今考えれば、ほんとに素人でした。

筆算、かけ算、かける1桁ならなんとかできて、4年になったら、割り算も、一桁で割るのなら、なんとかできるようになりました。

普通そこまできたら、やっぱり、げんちゃんの数の理解はちゃんと進行していると考えますよね~。だれでも。

だけど、げんちゃんは、そこまで来ても、まったく、数の文盲のようです。
なぜかというと、たとえば、9-6=3 なんていう、初歩の計算も、どうかすると間違えます。指を使わなければ何もできません。筆算も、割り算も、ちょっとしないと、まったくやり方がちんぷんかんになります。

 だから、1ヶ月前から、私は、思い切って、一桁の計算までもどって、毎日タイムトライアルをさせるようにしました。20までの計算も、もちろん不確実。しかも、何回100マスをやってもやっても、少しやらなければ、またすぐに間違います。タイムトライアルというのは、日々、早く、正確になっていく物ですが、げんちゃんは、20までの計算も、九九をひっくりがえした割り算も(4÷2=2、81÷9=9、49÷7=7 みたいな問題です。40問くらい)ですが、最初とまったくかわりません。何回やっても、1からあてはめて考えていくので、大きな数になると、すこぶる時間がかかります。何度トレーニングしても、81を見て、九九八十一・・・と思い描けるようにならないのです。そういうたぐいのことは、山ほどあります。

 算数のノウハウ本なら、次は、ここを反復させましょう。なんていう当たり前のことが、げんちゃんには通用しない。

 つまり、一見できるようになった、と思えることも、つまるところ、本当の意味で、まったくわかっていないのでしょう。反復するから、なんとなく、やり方だけ暗記する。感覚的に、数そのものの構造がわかっていないから、少しやらないと、また1から教えるようになってしまいます。

 そういう、吐き気をもよおすような、取り組みを日々くりかえし、私も、すっかり、げんなりして、(いつもげんなりしてます)毎回毎回、戦略をたてなおし、カリキュラムを組み替えて、落ち込んでは立ち上がり、を繰り返しているのです。

 でも、ここんとこ、わかってきたことがありました。げんちゃんの数は、10進法ではなく、ひたすら数珠玉が延々つながったもののような認識ではないのか、ということです。
割り算までしようか、というだんになって、
25ひく10は? と聞くと、すぐに答えられないげんちゃん。真顔で、指を出して、10を数えて引こうとしているので口がぽかんとなりました。もちろん、そういう時は、逆唱もしどろもどろだから、最後はフリーズしました。ほんと、この子の頭はなんて悪いんだろう! 行き場のない怒りさえ感じてしまいます。

 筆算で書いてあげたらすぐわかりました。また、落ち着いて考えさせたら、ちゃんとわかりもしました。でも、今頃そういうことを即答できないあんたの頭って、やっぱり、一生だめなんじゃないの!
 と、ほんとに腹立たしくなります。

 まあ、こういうどうどうめぐりをしながら、また、10月になって、考察し、分析し、戦略をねりなおすことにしました。

やれやれ、げんちゃんの算数が、ちゃんと人並みにすらすらいくようになった暁あかつきには、算数の学習障害について、私は、いっぱしの学者になっているだろうよ! ほんとにまじにそう思います。

でも、学校の担任も、少しずつ伸びてます。と算数についても書いてくださるし、よくよく考えれば、2年の時に、年長さん向けの、七田のプリントがろくにできなかったことを思い出せば、らせん状に旋回しながらも、少しずつは上がっていっていることは確かです。ただ、1リットル注いだ水の、ほんの何CCかしか、たまっていかないような、このママの感覚、発達に取り組んでいるママなら、わかると思います。ほんと、つらいですね!

日々一進一退を繰り返しながら、ママもげんちゃんも、たぶん、何かが、確実にたまっていると思いたい今日この頃。
時間があったら、算数のげんママ流理解と取り組みを書きたいです。何しろ、現場やってると、ゆっくりまとめる暇がありません。

 

公開コメント 承認後公開

  1. glow-gen より:

    Eさん
    コメントすご~く感謝します。そうなんですね。普通の頭の良い人たちでも、計算が苦手、特に、いわゆる暗算が苦手な人の場合、げんちゃんに見られる特徴のほんのごくわずか、片鱗があることもあるんですね。

     実は、私は、算数は得意、数学は全く苦手、のタイプでした。小学校時代のみ、理解が早かったので、みんなそんなもんだろう、と思ってしまい、げんちゃんの出来ないのが、ことさら意味不明になりました。普通わかるでしょ。で終わりたくなる・・・笑
     誰でも、自分の認知を基準に考えてしまう傾向があるように思います。

     でも、確かに、一流大学出てる友達とこんな会話をしたことあります。
    「げんちゃんって、変なのよ。ほら、こんな風に、クッキーが目の前に、6個あるとするじゃない。普通は、ぱっと見て6個とわかるでしょ。なのに、彼は数えるのよ。」
    と、私が言うと、彼女が言いました。
    「え、そうなの?私、数えるかも・・・」
    「・・・」
    「私、1年浪人したのは、計算が苦手だったからだと思ってるの。今でも、買い物の時は、携帯で電卓出したりするよね。すぐに、計算できないよ。」
    「え?そうなの???」
     私は、思わずへ~・・・と思いました。
    考えてみると、私は、数字とともに、ぱっと図形が出てくるような認知をしてます。でも、パパは、図形なんて出てこない、音で入ってる、と言います。
     視覚優位、聴覚優位・・・それだけでも解せない認知は複雑ですよね。
     なんか救われますよ。ありがとうございました。

  2. glow-gen より:

    Kさん
    コメントありがとうございます。我が家も、ホームスクールの日は、すごい、声がまわりの道に漏れ聞こえているんでしょうね。虐待の通報は受けませんが・・・家族からのバッシングも、一生懸命やってると必ずきますよね。
     でも、考えようによっては、子どもの逃げ場を作ってくれる人たちかもしれないと思います。結果が出ないと感じるときほど、発達育児がつらいときはありませんね。でも、マイナスが大きいときほど、そのあとプラスがどんと来ます。きっとKさんもそうだと信じます。
     げんちゃんも、昨日やっと、すごく仕上がりの良い日が訪れました。昨日だけかもしれないけど、大丈夫、信じて突き進みましょう。

     国語ですか・・・げんちゃんも、国語が峰といっても、難儀してました。作文書けない。字が汚い。漢字覚えない。なかなか、一筋縄じゃいかないですね。
     しかし、どれもこれもだめだ~と感じるときは、、やっぱり、体にもどる・・・のかもしれないです。根本の脳をおしあげてやる方が早いですもんね。BBA益永先生のレクチャーはほんとによかったです。もし、家を空けられないようでも、先生来て下さるかもですよ。体のアプローチを見直し、マッサージ中心に、原始反射をとってきたのですが、ここ2~3ヶ月の効果は確実に出てるような気がします。こんなブログ書いてるのですが、やっぱり、客観的に見ると、そうなんですよね。
     

  3. glow-gen より:

    Kさん
    げんちゃんは、国語は算数がひどくて、考える暇がないのですが、私には、1つ、考えていることがあって、外国人に日本語を教える方法を学んでみたらと思っています。一度、外人向け日本語の教科書を見てみたいと思ってます。
     また、逆に、英語を学ばせてみるのもよいのでは、と思ったりします。これは、私の思いつきなのですが、・・・・日本語を日本人が教えることこそ難しい事ってないですもんね~。言葉の溝の子ども達の場合、算数にも増して、ママは大変ですよね。でも、きっと突破口はあるはず、と信じてます。

  4. glow-gen より:

    Pさん
    げんちゃんとはでこぼこがまるで違うので、できるところは、ため息ものですが、やはり、言葉は、いっきにはいかないんですね。げんちゃんは、言葉はましとは言え、何が言いたいかさっぱりわからない時期が長かったです。
    4年になったら、ぐっと良くなって、かなり、理論的にしゃべっています。たぶん、4年くらいになると、今度は、理論的な脳がやっとつながりだすようなそんな感触があります。今は、ひたすら入力、各論をどんどんのばす。そういう年齢なんでしょうね。
     げんちゃんの年になってきたら、たぶん、ぐんと、手応えが出てくるのではと思います。

    他の点で、天才的なPちゃんだけに、そこが改善すれば、ほんとに高みに上れるはずだし・・・でも、とにかく、今は、一歩一歩です。がんばりましょうね。

  5. glow-gen より:

    Kさん
    学習の要領は、まずは、大量にその子がこなせるものをやる段階がなくてはいけないそうです。運動と同じで、まずは、量的勉強・・・たとえば、かけ算なら、1つの段を1分以内で言える。次は、逆から1分以内で言える。ぼ~っとしていても、口からすらすら出てくる状態にする。そして、そのあと、4÷2=2,6÷2=3、なんて言う、かけ算の逆の割り算をはじめてどんどんさせる・・・・そういう手順がちゃんと必要なんですよね。
     その量的なもの、それも、その子が、ストレスなく取り組めるそこそこのレベルのもの、それがある程度たまってきたら、ある時、質的なものにぽんと上がるのだそうです。
     量的なものがたまること、それも、ちゃんと簡単なものから手順を追って、段階踏んでたまること。そういうのが大事だそうです。
     学校の先生の教え方は、そういう手順の段階が、大まかなんだろうな、と思います。第一、学校だけじゃ無理という面もあるしね。
     国語も、簡単なものを大量に・・・ある程度たまったら、自然と上に行くんだと思います。英語も、げんちゃんは、習ってきましたが、最近、やっと、理論的に入力しなおしていくポイントに、なってきました。まあ、やっと、普通の子のスタートに来た、感じかな。考えれば、ほんと、日本語もままならないのに、あきもせず、行かせてきたな~と、あきれます。

  6. ばたばた より:

    以前コメントさせていただいた、ばたばたです。レス頂いたのにそのままになっていてすみませんでした。
    うちの子は以前書いたように高学年のグレーゾーンですが、25-10はすぐには無理です。数の大小さえ時々あやふやなので、びっくりする時があります。でも、最近習ってきた公約数なんかは考えて宿題の答えを書いてます。
    算数をさせていて思うのは、やはり論理的思考力の展開に伴って見えてきかたが変わるのだな、ということです。ドングリクラブ、ってご存じですか。子どもの算数が弱いと分かったときに、早めにソロバンを習わせて少しでも楽に計算できるようにしようか、じっくりやろうか大分迷ったのですが、一応ドングリクラブの方法で、文章の読解中心の算数でいくことにし、計算時間は最低限にすることにしました。で、結局計算が出来ないままなのですが、文章読解のほうは少しましになってきたので、それで補ってる感じです。途中でいっぱい計算はまちがえますが、解き方の道筋がついてきたかな、と思うことがあります。陰山は時々しますが、すぐに嫌になるので100問はめったにできません。
    言いたかったのは、理解していくのもなだらかでなく、あっちを少し理解しこっちが少しマシになり、一旦後退し、気がつくと少しできている、というような感じで進むのかなー、ということです。だからげんちゃんも大丈夫。

    ただ、今私が凝っているのは、睡眠を10時間とらせることです。げんちゃんは朝元気なようでいいですが、うちの子は朝グタグタなので、寝かせるのにこちらが必死にならないとなかなか無理ですが目覚めが良くなり登校前の手間が大分と減ります。頭も気持ちもちょっとクリアになってる気がします。

  7. ばたばた より:

    すみません、「だからげんちゃんも大丈夫」は余分でしたね。人それぞれ、進み方も感じ方も異なるのに。
    少なくともうちの場合は、ゆっくり考えても、指使ってもあまり気にしてません。本を読むことで文章の意味を捉えられるようになるほうが大事ではないかと思ってます。

  8. glow-gen より:

    ばたばたさん
    コメントありがとうございます。
    >言いたかったのは、理解していくのもなだらかでなく、あっちを少し理解しこっちが少しマシになり、一旦後退し、気がつくと少しできている、というような感じで進むのかなー、ということです。だからげんちゃんも大丈夫。
    まさに、これ。やっと私は、言葉にできるようになった気がします。今書いたブログ、よかったら読んでください。そして、ご意見をくださいませんか。私は、いつも、ここでノックアウトをくらっていたんだって、思います。もしかしたら、もっと良い理解があるかもしれないです。でも、やっぱりそうですよね。みな、ばたばたさんと同じような感じをもちますよね。

    私は、むしろなかなか文章題まで時間なく、暗算ばかりでとまっているところがあって・・・・でも、今回のブログの内容に気づいて、迷うことなく、ぐんとステップバックして、そこを無心に反復させることをさせていっておりますが、一筋の光明が見えるような、そんな気になりかけてます。(まだ、確定的には言えないのだけどね)

    この子たち流の進歩のしかた、そこを把握すれば、もっとうまく駒を進められる、ちょっと私は、開眼した気分になってます。笑

    成果のうらうちがほしいところです。

  9. glow-gen より:

    ばたばたさん
    げんちゃんも大丈夫。
    私もそう思います。笑 うれしい言葉です。ありがとうございます。どんなに、失望しても、発達育児の面白さには勝てない・・・なにがなんでも、きわめてみたいですね~。愛情のモチベーションをフルに使ってね・・

  10. glow-gen より:

    あきさん
    反復がどうなのか、っていう問題。私は、やっと開眼しました!(笑)今度のブログ読んでみてください。
    結局、割り算の反復がぜんぜんのびない感じなのも、反復するステージにまだないということだったのだと、今はわかります。
    それゆえに、10までの反復にもどったら、少し、停滞したけど、ある時から、3分くらいいっきに短縮して、普通の子のような雰囲気になってきました。反復させる時期というのは、問題の難易度が、彼らのこなさるところに来た時なのだと思います。
    20までの反復もなかなか短縮していかなかったのも、今ならわかる。一けたがまだまだだったわけなんですね。

    20までをしたら10までもいっきにカバーできる、と思ったのは、間違いで、そこをやってる時も、10までをもっとやるべきだったし、げんちゃんの場合、具体物での反復を、どんどん並行するべきだった。そして、真の反復期は、じつは、その時は、1もう一つ二つ前の段階だった、いや、4つくらい前かも。(笑)
    いまやってるとこはうっすら進めながら、反復は、もっと前の段階、という言い方が適当かな、と思います。ためしてみてもらえませんか?もし、私が感じることが正解であれば、きっと反復の効果は出てくるのではと思います。

    学者・・・ははは・・・ありがとうございます。でも、先日ある人に聞かれて、「私は、げんちゃんのため、と思って、発達育児をやったことはないよ~。なんか、自分が研究してしかけたことが、うまくげんちゃんに花開くと、すごく楽しいからやってる。研究者ってこんな感じだろうね。まあ、そのモチベーションは、愛情なんだけどね・・・」

    と知り合いに言ったら、受けてましたけどね。学者的体質で、発達育児やってる気がします。笑

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