お料理教室で作ったスノーボール
何もできなかったあの頃のげんちゃん
げんちゃんが小さい頃、私は本当にいろんなことをやりました。絵も描けないし、もちろん、まともできれいな字など書けない。会話も、稚拙というより、やはり「できない」と言った方が正確でしょう。
とにかく「できることを探す」ことの方が難しかったのです。ちょっとした折り紙ひとつでさえ、本当に何度も仕込んで、仕込んで、やっとこさ風船ひとつ折れるようになる……もはやその頃のことは忘れてしまって、なんだか昔からそれなりにできていたような気になったりしますが、思い出せば壮絶です。
「何もできない昆虫」のような、我が子。会話していると思い込んで喋ってはいるけれど、結局はげんちゃんが適当に衝動的に発する言葉に、こちらがなんとかかんとか意味を汲み取って返してあげる、というだけのことでした。
自分で洋服を着られるようになるかどうかさえ、私には確信が持てなかった。
しかし、それが今や、もう20歳になっているのです。恐ろしや!
20歳になっても「教育」は続く
いまだに現在進行形で「教育している」私。
げんちゃんには「自分で学び、自分で自分を成長させる力」が、まだまだ全然足りないと感じます。
支援クラスの仲間たちは今どうしているのか
げんちゃんのクラスメート(支援クラス)たちは、いわゆる「この世で大人」とされる土台の上で生活しているのでしょうか。
本当に不思議なことに、交流がほとんどありません。
支援クラスのお母さん方は、悩みも質が違うし、共感できる相手も少ないので、支援クラスの親御さん同士でずっと交流していけそうですが、なぜかそれもない。
私には、小中通して、いわゆる「支援のママ友」は本当に、一人二人しかいません。それも、私が結構努力して作ったと言ってもいいでしょう。
なぜ親同士の交流は少なかったのか
それはなぜか。
まず第一に、学校時代に親同士が交流できる場がなかったということ。そして、それだけではなく、親御さんたち自身が積極的に支援クラスの親たちと交流しようという姿勢が、不思議なくらい少なかったです。
「福祉の傘の下」にいる子たち
障害の軽い子たちは、もしかしたら何らかの形で社会に出ているのかもしれませんが、おそらく多くは「福祉」という名の下で、生きているのではないかと思います。
「障害者枠」で就労していたり、引きこもってずっと親が面倒を見ている子もいると思います。(ずっと引きこもりの子もいましたから。)「就労A、B」を利用している人もいるかもしれません。
げんちゃんの支援のクラスメートは、突き抜けて普通に…という雰囲気の子は、あまり出会っていません。しかし、もしかしたら何人かはいたりするのか?
どちらにしても、20歳ともなれば、やはり、ずっと学びを続けさせ、発達障害の厄介な本質を改善しようと取り組んでいる人たちは「非常にレア」である、ということは想像できます。
ある程度IQの高い子は、また違うのでしょうが、げんちゃんのように、どっぷり……という子は、本当に、上昇カーブを続けることは、難しいと言っていいでしょう。
「福祉の中の踊り場」にとどまってしまう危険性
ある意味で、福祉の中に身を置いて、とりあえず「成人」した発達障害の子供たちは、親から見ると、踊り場のようなところに来ているのかもしれません。
また望んでも、なかなかわが子を成長させられる環境は少ないと感じます。
福祉という底上げの中に置かれていると、波乱万丈はちょっと落ち着き、問題のないルーティンな日々に見えたりもします。
しかし、何かが起これば、すぐに問題が生じるリスクはいつも付きまとっています。
大ちゃんの就職──そしてその先にある落とし穴
たとえば、一緒に体操を習っていた大ちゃん。支援学校(高等支援学校)を卒業後、学校の紹介で障害者枠としてクリーニング工場に勤めるようになりました。
もともと素直な性格で、げんちゃんよりも意識障害の程度が軽かった大ちゃんは、クリーニング工場でアイロンがけや洋服の補修など、さまざまなことを習っており、その仕事が気に入っているようです。「楽しい」と言って、初めての社会人生活を送っているのです。なかなかの快挙のように思います。彼は職場でも好かれると思います。
就職しても「成長し続ける」わけではない
就職した1年目、知的障害の子どもたちはよく伸びます。今までとは違った、少し厳しい環境に入ると、シャキッと意識が入り、それなりに自覚も出てくるのです。
しかし、私は知っています。これが決して長続きしないことを。
なぜなら、就職先では、ある程度決まった仕事をルーティンとして任されることが多いからです。障害者就労では、単純化された仕事を与える傾向が強く、それができるようになると、それ以上のステップアップを期待しようとは、なかなか思われないのが現実です。
「障害者=大きな負荷をかけてはいけない」という常識も、それを阻んでいます。
そうして、就職して彼らが仕事に慣れてくる頃から、また「ルーティン」という枠の中に入り、居心地の良いエリアの中で、あまり物事を深く考えない生活に戻ってしまうのです。
(中に、常に能力の少し上の仕事にシフトアップさせていく職場があると聞くことは、大きな希望になります・・・)
向上心を失った時、何が起きるのか
実際に、過去に友人の発達障害の子も、就職後半年もするとだんだん目標を失い、ただ日々をこなすだけの毎日になっていました。
そうなると、もはや成長どころか、まるで山を転げ落ちるように意識レベルが下がっていきます。さらに厄介なことに、中途半端な自信がついてしまい、少し傲慢さも出てくる。
まあ、これは知的障害の子だけに限らないことですけどね。
一般の人だって、「常に向上心を持って仕事をする」というのは案外難しいことです。
仕事に慣れてくると、やがて、できるだけエネルギーを使わずに、できるだけ多くの給料をもらいたい、というような発想に陥りがちなことはよく見る光景です。
げんちゃんの次のステップへ
げんちゃんの次のステップを考える時に、どうしてもそういう頭打ちカーブが目に浮かびます。
常に、常に、一歩前進。
普通の人でも、常に前進を希望し、向上を見つめる人たちもいます。彼らは、自分で道を切り開いていくことでしょう。
げんちゃんの能力は低くても、そういう向上心があれば心配ないですが、能力がついても、ほんとにそこがないので、やれやれです。
普通の人でも、向上心のあるなしがあるように、発達の子も、その性格によって、向上心のあるなしがあります。
向上心の欠如が生む「勘違いの傲慢さ」
本当にいろんなことができるようになってきたげんちゃんです。そういう場合、向上心に欠けると、何がおこるかというと、傲慢、という勘違いがおこります。
自分をしっかり見つめることから遠ざかり、自己の世界観で勝手に暴走する輩が生まれます。
げんちゃんは、そういう性質を定着させることのないように、今は、目が離せない。
この発達障害特有の自己の世界観を不動のものに固めてしまって、ここから先、なかなか伸びていけない人たちは多いのかもしれません。
固まる前に、まだまだ伸ばすには、ここからのステージは、ほんとに手ごわいのかもしれません。
まだまだ固めてはいけない、と毎日思ってるこの頃です・・・
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